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プラネタリウム

 あまり意識されていないと思うが、プラネタリウムはファンタズマゴリアの発展形の一つであり、近代社会の比喩であり続けている。
 星の運行を天井に映し出す機械は、カミーユ・フラマリオンが戯画的に描いた挿絵に似ている。それは、光学によって満たされている一つの世界を描いたものだ。面白いことに、その中心には太陽があり、その他に中心と呼べるものは見当たらない。
 さて、BAROQUEというゲームがある。作中で語られる歪んだ妄想とは、中心が数多存在する、つまりプラネタリウム機械が数多存在する世界ではないか。作中の神経塔という建造物はプラネタリウム機械が幾つも連なったような形状だ。
 ともすれば、プラネタリウム機械の構造に時代精神を見出すも宣。二球式プラネタリウムは「消費社会の神話と構造」の背景に値するし、一球式は冷戦後の巨大な二国の消滅と数多な国々の暗躍を予言する。表象の「現実界」ここに極まり。

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