プレイステーション
世紀末期プレイステーションのテクスチャーは未だに我々を羅浮仙の世界へ誘う。そう、プレイステーションは世紀末のものでなくては。粗いポリゴンの色彩による仙女の表現に勝るもの無し。
世紀末のテクスチャーと言ってラファエル前派を想起するは世紀末を拡大解釈しているのだろうか。この兄弟団のテクスチャー狂いは、内部に秘めた英国風女性蔑視を隠蔽する。
そう、表面であるテクスチャーは、内側に線で書かれたエクリチュールを塗り潰している。ドワイト・マッキントッシュを想起せよ。その近親相姦的な欲望は線描段階にのみ現れ、色彩を加える段階はそれの隠蔽工作に他ならない。鈴木シン一のラディカルなマリリン曼荼羅も線描だ。
プレイステーションの色彩もまた、原初的な欲望を塗り潰しているのだ。蠱惑的な色彩の下には混沌たる欲望がある!この抑圧的構造が魅力を作り出していることの説明は、フロイトを索くまでもない。
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