惡の華
惡の華の「正確な」訳を求めている青白い青少年によって虐げられがちな堀口大學訳を全面的に肯定してみよう。
「堀口大學訳は作文だ」、「落語用語が多くて耽美ではない」、宣なり。しかし江戸黄表紙文化を思い出せば如何。ルビやイラストレーションとの相互作用によってテクストの多元的な要素を描画している黄表紙こそ象徴詩翻訳の師ではないか。
象徴詩翻訳の嚆矢たる海潮音は七五調だ。書かれたテクストを読むことによる視座の変化を可能にする文体は描画外の情報量の膨張に成功している。そしてこの膨張が象徴詩に必要なのだ。黄表紙の如き駄洒落を真髄とすべきであり、況や形式主義的ナンセンスをや。
マラルメや日夏耿之介が形式主義に先駆けたり非常識な漢字の適用・新たな用法の創出を行なっていることは象徴詩の象徴詩たる所以だろう。そして惡の華堀口大學訳は言語の多元的側面を浮かび上がらせることに成功した稀有な例なのだ。
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