【呪術廻戦*考察】ナナミンの「労働はクソということです!」という台詞についてちょっと考えてみた
こんにちは、あるいははじめまして。
活字が好きな鳥類こと、ぺんぎんでございます。
(思うところがあって、今まで投稿したものを消したので、おおよそはじめまして)
前回の投稿から時間が空いてしまったな……といつもながら反省しています……。はい。
と、反省はここまでにいたしまして。
最近、ぺんぎんがめちゃくちゃハマっている芥見下々先生の『呪術廻戦』について、少し考えていきたいと思います!
(昨年には劇場版も公開されましたね! わたくし猿めは、推しの命日に観に行きましたよ!劇場版でもやっぱり死んでしまっていたので、泣きましたけどね)
とはいっても、今回は登場人物のひとり、七海建人の「労働はクソということです!(ろどクソ)」だけにフォーカスします。
全体を考えてみるのもやってみたいですが、ぺんぎんの鳥頭では訳わからんところ多いし、長くなるので。
考察ほどかしこまったものではなく、
ただの雑記、夏休みの自由研究くらいだと思っていただければ幸いです。
なお、本記事には特大のネタバレが含まれております。(ぺんぎんは本誌ちょっと遅刻しながら追っている勢です)
特にアニメ勢の方は、気を付けてお読みください。
また宗教的な事柄にも言及しますので、そういうのはちょっと……と思う方もブラウザバックをお願いいたします。
『呪術廻戦』とは
この記事を読んでらっしゃる方には蛇足かな、とも思いましたが一応。ソナタ形式の序奏部みたいな感じだと思っていただければ幸いです。
『呪術廻戦』とは?
漫画家・芥見下々先生によって生み出されたダークファンタジーバトル漫画です。
もう、めっちゃ好き。
ここから漂ってくる、人間の罪深さみたいなものが好きすぎますね。
人間って、生まれてきたことが罪なんですよ。
最近(もはや最近とは言えなくなってきたけど)、アプリゲーム『魔法使いの約束』にもハマっているんですが、『呪術廻戦』における「呪術師―非術師」の関係と、『魔法使いの約束』での「魔法使い―人間」の関係って似ているんですよね。(なんなら、ぺんぎんの推したちが人間に対して抱いている感情も似ている)
『呪術廻戦』好きな方はきっと、『魔法使いの約束』が好きになるだろうし、ストーリーやばたんなので、全人類のスマホにインストールして回りたいです。とりあえず読め。🍎▶
閑話休題。
というわけで、ぺんぎんが大好きな人間の醜悪さが匂うダークファンタジーの中の良心がひとり、ナナミンについて考えていこうと思います!
なんでナナミンをやるか?ナナミンが大好きだからです!
推しは違うだろうって?そんなのいいんです。だってナナミンも好き。
脱サラのアイデンティティを持つ呪術師
まずは基本情報を確認してみましょう。
もう、享年っていうのが辛すぎるんですけど……。
さらっと書かないで……って思うんですが、まあ、あの、でも、推しも享年って書かれてるんですよね。つらたん。
そして(そして?)、ナナミンの何よりの特徴は、「脱サラ」であること。
つまり、脱サラ出戻り呪術師なんです。
これについては、作中で五条先生も、それからファンブックでは芥見先生も言及しています。
敵キャラ!?つまり呪詛師!?
呪詛師ナナミンも見たい。
呪術師ナナミンは白いスーツ(そんな色のスーツ着るなんて絶対に堅気じゃない)を着ていますから、きっと呪詛師ナナミンは黒いスーツでしょうね。アルマーニとかでしょうか?
(スーツの善し悪しとか全然わからないので、とある推理小説で読んだ、高価なスーツといえばアルマーニしか浮かんできません)
脱サラの記号から作って、どうやって呪詛師に繋がるはずだったのかは、今となってはもうわかりませんが、とりあえず……
ナナミン=脱サラ
という図式は初期設定から変わらないのでしょう。
脱サラという記号があるゆえに、ナナミンは作中で「労働」と紐づけられています。
そんなナナミンを象徴する台詞がこちら。
ナナミンの決め台詞
『呪術廻戦』にはほかにも、伏黒くんや五条先生、東堂らに決め台詞があります。(東堂の女のタイプを訊くのって、決め台詞って言って良いのか心配になってきたな……)
みんなそれぞれの経験に依るものが、台詞に反映されているのは言うまでもありません。
ナナミンのこれも、そういうことだと思います。
とはいえ。
ぺんぎんはオタク。
オタクって深掘りしたくなるいきものなんです。
ということで、ここからは考察という名の妄想です。
ナナミンのもうひとつのアイデンティティ
さきほど、ナナミンに与えられた記号が「脱サラ」であると紹介しました。
ですが、もうひとつ。
ナナミンには与えられた、記号があると思います。
それは
クォーターであること
つまり、ナナミンに流れる血の4分の1が、デンマーク由来であるということです。
いまのところで本編で登場している人物で、外国の血が入っている呪術師/呪詛師はかなり少ないんです。
現在(記事を書いている2022年8月10日現在)で確認できるのは、
・夏油一派(偽夏油ではない)に所属している呪詛師ミゲル
・京都校に所属している西宮桃ちゃん
くらいでしょうか?
若干、そうかも?と思うキャラクターとしては
・夏油一派のラルゥ(CV豪華すぎて、どんな立ち位置の人か怖くてしょうがないのに、あんまり出てきてくれない)
・一級呪術師 冥冥(情報なさすぎて、国籍すらわからん)
・冥冥の弟である憂憂(姉様が好きなのはわかる)
ですかね?
とはいえ、上記3人は非常に流暢な日本語を話していますし、冥冥に関しては偽名です。(ならきっと、憂憂もだろうな)
なので、ボビーオロゴンのような日本語を話し(五条先生談)、名前からしても日本人ではないミゲルとはちょっと違うかな~というのが、正直なところです。そういえば、ミゲルってミカエルに読み替えられるらしいですねほかにもいたら教えてください。
(懐玉・玉折編に出てきた呪詛師集団、と思ったんですが、あいつらの名前はコードネームですよね。バーボンとかスコッチみたいな)
(ちなみにぺんぎんの推しはスコッチなんですけど、なんでいつも死んじゃうんですか?もう、悲しすぎるからお兄さんに乗り換えちゃうよ……?)
あと、呪術師というか術式は持っていないんですが、「見える」人間としては、パパ黒くんの仕事を斡旋する役割をしていた孔時雨、がいますかね。
さて、世間はグローバル化、なんて風潮が流れている中、登場キャラクターが日本人で固められているのは、正直なところ、珍しいと言えると思います。
同じジャンプで眺めてみると、例えば、藤本タツキ先生の『チェンソーマン』(第2部始まりましたね!わっくわく)では、世界中からチェンソーの悪魔が狙われているのもあって、ドイツ・ソ連・中国と色んな国から刺客がやってきます。全員、悪魔と契約しています。
そして、もちろん戦闘に。
ですが、『呪術廻戦』ではあんまり出てきません。
出てきても、上に書いた人たちくらい。
というのには、理由があります。
これは渋谷事変終盤、虎杖くんたちを助けに来た、特級呪術師の九十九由基が偽夏油に放った言葉です。(このときラルゥも助けに来たらしいけど、ラルゥどうしたん??どこにいるん???)
その理由としては、天元の結界が関係しているようなんですが、それ以上のことはぺんぎんの鳥頭ではわかりませんでした。
お願いだから、誰かモリアーティ家の三男を連れてきてくれません?
高次元の会話は理解できないから、解説お願いしたいので……。
ちなみに、天元とは不死の術式を持った、呪術師です。
そして随一の結界術を持っています。その結界には何かしらが仕掛けられていると考えるべきかもしれませんが、現状行われている、死滅回遊の結界は、天元のものではありません。
は?もうわかりません。
あとこの人、お館様と同じ匂いがするんですが、なんででしょうね。
話を戻しましょう。
ちなみにナナミンは、呪術師の家系ではありません。
高専入学方法も、乙骨くんや虎杖くんと同じく、「スカウト」ですしね。
(乙骨くんも虎杖くんもスカウトで済ませる高専が怖い)
ここからわかるのは、デンマーク由来のナナミンは非常にマイノリティであるということです。
伏黒くんが呪術師はマイノリティだと言っていたので、その言葉を借りるならば。
ナナミンはマイノリティ・オブ・マイノリティ
ということですね。
ナナミンはなんでデンマーク由来?
マイノリティなのはわかりました。
ナナミン is マイノリティ・オブ・マイノリティ
でも、じゃあ、なんでデンマーク?
ということを考えていこうと思います。
ちなみにミゲルはケニア出身。桃ちゃんは、お父さんがアメリカ人(呪術師)ですね。
なお、この質問と答えは一応、ファンブックに載っています。
デンマーク、確かに福祉がしっかりしてるよ。
でもそれならフィンランドも、スウェーデンもしっかりしてるもん!北欧っていうくくりじゃなくて、デンマークに特定した理由が絶対ほかにもあるはずだよ!という感想です。
というより、『公式ファンブック』のパンダのページで
と書いておきながら、パンダに夜蛾先生のあんな最期を見せたり、ぜっっっっったいに核を3つ入れたのには理由があるだろうと思わせる扉絵を掲載したりしているあたり、ファンブックの内容は半分くらいしか信じていません。
パンダと夜蛾先生のところでどれくらい泣いたかわかんないよ!?
出オチなんて嘘を書いたの誰!?キャラクター情報とか、数値的な情報とか、用語説明とかは信じています。
ということで(ここまでが前提)、ナナミンはなんでデンマーク由来なのか?
誰得かわからないですけど、考えていきます。
デンマーク
とりあえず、まずはデンマークの基礎的な情報の確認から。
これを見て、ロイヤルコペンハーゲンしか思いつきませんでした。
ナナミン使ってそう。
一方で、ぺんぎんがさきほど挙げた、ほかの北欧の福祉がしっかりしてそうな国、フィンランドとスウェーデンも確認してみようと思います。
フィンランド
スウェーデン
ひとつ思うのは、日本ってなかなかにでっかい国なんですよね。
あと、なにより人口が多い。
仲間はずれは悪いなと思ったので、北欧の国をもうひとつ、ノルウェーも確認してみましょう。
ノルウェー
4つの国の違い
国土の違いや、それに伴う人口の違いはもちろんあります。
とはいえ、そんなものが一致する国はありません。あったらSF。
一番注目すべき相違点は、「宗教」です。
実は4国とも共通しているのが、信仰の対象に福音ルーテル派が含まれていること。ですが、違いもここに。
デンマークだけが、福音ルーテル派を国教に指定しています。
つまり、デンマークは福音ルーテル派のみを公に認め、統制や保護をしているわけです。また現代では政教分離が唱えられることが多くありますが、国教である以上、国がその教義を根本原理とし、国家行事などを行っている場合があるのも確かです。
日本は第二次世界大戦で敗れ、その後、GHQによって宗教政策が施されているので、国教などには少し馴染みが薄いですね。
まあ、言うならば、多分、デンマークは福音ルーテル派に染まっているというイメージで良いかと思います。
ちょっとこの書き方は表現が悪いような気もするので、良い文章表現が見つかったら改訂します!
ルター派プロテスタント
福音ルーテル派とは、文字通り、ルター派プロテスタントのことですな。
ルーテルはルターの別の読み方というわけです。
そもそも福音とは「良い知らせ」という意味ですが、「福音派」となると少し意味が変わります。
一応、ルーテル派(ルーテル教会)の方も確認しておきましょう。
16世紀初めにドイツの神学者マルティン・ルターによって、当時のキリスト教の在り方が問われ、結果として(めちゃくちゃざっくり言えば)キリスト教はカトリックとプロテスタントにわかれた経緯があります。
(その前にも東方教会、西方教会の別れもあるけど、とりあえず置いておいて……)
このカトリックとプロテスタントには、さまざまな規模の違いが見受けられますが(神父と牧師など)、今回注目すべきは救われる方法です。
救われる方法、というとなんだそりゃ?となるんですが、ぺんぎんの乏しい語彙では、これしか言えませんでした。
えっと、本当はなんて言うんだったか、有識者の方、教えてください。ぺんぎんは全然、キリスト教に詳しくありません。なんなら仏教とか神道とかもよくわかりません。
ともあれ、両者の違いについてです。
カトリックでは善行を積めば救われる、と考えられています。
善行というのは、祈祷や巡礼、寄付、ボランティアといったものです。つまり金で解決しようと思えば、解決できるんです。ゆえに贖宥状というものが生まれたんでしょう。きっと。
(ところで楽天市場で贖宥状が販売されてたんですが、これ買ったら救われますかね?)
一方、プロテスタントでは信仰すれば救われると考えられています。
これはルターが唱えた、「信仰のみによって」救われるという(信仰義認)、宗教改革の中心的な考え方の流れを汲んでいるんでしょう。
ちなみにこの信仰の対象はイエス・キリストになるので、聖書がゼッターイとなるわけです。
(だからルターは民衆みんなが読めるようにするために、聖書をドイツ語訳したわけっす。じゃないと、ヘブライ語だのラテン語だのなんて知識人たちしか読めなかったからです。あたりまえじゃ~、普通に生活してて、「いとをかし」とか使わんもん)
信仰とは?
じゃあ、信仰ってなに?
となるんです。
ぺんぎんもわからん。と思ったので、やっぱり辞典で確認してみようと思います。
やっぱりそうなんだ。事項の一番上に書くくらいなんだね……。
うん、まあ、そうか。
というわけで続き。
いや、むっっず
とりあえず、神は乗り越えられる試練しか与えないということで良いですか?だめですよね。はい。(ちなみに、これに似た言葉は、新約聖書のコリントの信徒への手紙 第10章13節にあります)
気を取り直して、もう一度、考えていきます。
この文章で言われていることは主に、
・1つは聖書に書かれているキリストの死と復活(最大の奇跡)について信じること
・神のメッセージを受け止めて、それに従うこと
です。多分。間違っていたら教えてください。
前者はわかります。
聖書を信じること。聖書原理。
これはプロテスタントの特徴のひとつでもあります。
では後者は?うーん、と悩んでいたんですが
多分、あれですかね?
召命!!
というわけで、召命について確認していきます。
召命とは、神から与えられた使命のこと。
この使命は伝達された啓示と、ほぼイコールになるかな、と思います。
この使命とは、イスラエルの時代においては預言者や王など、格の違う人に授けられるものでした。
しかしキリスト教の時代になると、神からの使命は聖職者のところまでやってきます。
言い換えれば、神からの使命が無ければ、聖職者の職には就けなかったというわけです。もちろん、建前としては、ですが。(聖職者って貴族の三男とかの職だった気がするんだよなぁ)それが、ルター以降になると変わります。
上記の説明の通り、ルター以降、(おそらくプロテスタントの人を中心に)どんな職業であれ、それが神から自分に与えられた使命であると考えるようになります。後半に書かれている、近代キリスト教的職業観を形成する契機となった、というのは、おそらく第二バチカン公会議ことかなぁ。
ルター以降のこんな感じの考え方は、ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーが社会学や政治学(金融学も?)の見地から書いています。(読んでないから深くは書かない、というか書けない。有識者の方、教えてください)
以上のことを踏まえると、プロテスタントの世界においては、神から授けられた使命を労働という形で奉仕することによって、信仰の意を表せるということになります。
いや、なんか読みづらいですね……。
ここからは、神から授けられた使命(職業)というのを、わかりやすく天職と書くことにしましょう。
なのでちょっとスマートに書き換えると、天職に就いて労働することで信仰の意を表せる、という感じですかね。
つまり!
プロテスタント世界において、労働は信仰と結び付けられるのです!
ここまで来て、ようやく、ナナミンに近づいてきました。
(ここまで1万字弱)
では、ここでナナミンの一連の台詞を思い出してみましょう。
七海建人にとっての「呪術師」
これは虎杖くんに、出戻った理由を問われたとき、ため息をつきながら言った台詞です。
「労働はクソということです」という言葉ばかりが先行して、言ってしまえば独り歩きしていますが、実はこの言葉がかかっているのは、「一般企業で働き気づいたこと」です。
実は呪術師として働くこと、に「労働はクソということです」という台詞はかかっていないんです。
ナナミンはあくまで、「呪術師」が「クソ」であるとしか言っていません。
もちろん、ナナミンは高専在学中、唯一の同級生(最初に読んだとき推しになると思った)を喪い、慕っていた先輩(ぺんぎんの推し)が離反するという呪術界の暗い部分を目の当たりにしました。
だから、呪術師はクソですという認識を持つようになったんだろうなぁぁぁと思います。
そして、ナナミンは出戻った理由について
「同じクソなら より適正のある方を」と言っています。
つまり、
一般企業で勤め人をする < 呪術師として働く
という図式がナナミンの中にあったということです。
これは呪術師が天職であるということを、七海建人自身が理解していた、ということを示しているんじゃないかと考えられます。
頭で、というより、感覚として理解していたのかもしれませんが。
そういえば蛇足ですが、ナナミンの勤めていた一般企業ですが、なんとなくの感じでいくと金融関係ですかね?
ここで金融関係の職業が来ているのは、デンマークがカトリック系ではないからでしょう。カトリックで金融関係、特に銀行関係の職はあまり好まれていません。(だからカルヴァン派とかが流行ったりする)
ここまで考えてきたところで、あの言葉を引用しようかと思います。
これはモノローグです。
今まで引用してきたものとは違い、台詞ではなく、ナナミンだけの、胸裏の言葉です。
渋谷事変の終盤もそろそろ見えてきたころ、一級呪術師 七海建人が自身が幾度も逃がしてしまった特級呪霊 真人に殺される直前のシーン。
これに対する返答は、呪術師七海建人も、主人公の虎杖悠仁も、誰も持っていません。
ナナミンが一般企業で働いていた状態というのは、彼は適正ではないとわかっているところで労働しているので、つまり天職に就いているとは言えないわけです。
さらにナナミンは、自身にプロテスタントに染まったデンマークの血が流れているにもかかわらず、「労働はクソということです」と言ってしまっています。
つまりこれは、「信仰なんてクソだ!」と言っているのとほぼイコールになります。
プロテスタント的には信仰を放棄していると言えるでしょう。
つまり、彼は神に救われない選択した、となります。
もちろんこのように結論づけるには、前職が彼の天職であるならばという前提がつきます。
では14巻時点の、灰原くんに「何がしたかったのか」と問いかけたナナミンはどうでしょう?
ナナミンは、「より適正のあるクソ」に戻ってきて、
渋谷事変という史上最悪の呪術テロの最中に、
まずは特級呪霊 陀艮の領域に閉じ込められ、またまた特級呪霊の漏瑚に身体を焼かれ、そして特級呪霊の真人にとどめをさされて。
ここでの七海建人は、誰が何と言おうと、天職である呪術師を全うしています。
つまり彼は、信仰しているのです。
プロテスタントでは、人は信仰によってのみ救われます。
よって彼は、呪術師に戻ってきたことで、神に救われる選択をしたのです。
ある意味で、自身に流れる血に従ったとも言えるかもしれません。
ここまで書いて、泣けてきました。
なんでこんなに、涙腺を刺激してくるんでしょうか。
そろそろ長くなってきたので、まとめていきたいと思います。
まとめ
はてさて、ここまで「労働はクソということです!」というナナミンの有名な台詞について少し考えてきました。
一応、ここでの結論は、「労働はクソだが、一級呪術師 七海建人は呪術師に出戻ることで、信仰の意を表し、神に救われる選択をした」としておきたいと思います。
ちなみにここまでで1万字を超えています。
お付き合いくださった方々、ありがとうございます。
この記事は、綺麗にまとめようと思って書き始めたわけではありません。
言うならば、供養のために書き始めました。なんて言ったって、お盆なので。
という事情ですので、記事を通じて、分かりづらいところ、論理が飛躍しているところ、説明が十分でないところがあるかもしれません。
一応、適宜、改定していく所存ですので、なにかあればコメントくださいませ。
あとあと、厚かましいですが、感想もお待ちしております!
ここからは番外編になります。
もしよろしければお読みください。
番外編:ナナミンとキリスト教の関係について
金髪ナナミン
まずは色について考えていこうかな、と思います。
『呪術廻戦』の世界では、主人公の虎杖くんはピンク頭ですし(自動的に宿儺様も。もしかしてじいちゃんもかなぁ)、五条先生は白髪頭。棘くんも、白っぽい髪をしているので、あまり注目されませんが、ナナミンは金髪です。(目は緑?目が緑のキャラは推しになりがちなんです)
そういえば、サンリオコラボでも、黄色い子犬のキャラクターであるポムポムプリンちゃんとコラボしていましたね。
クォーターなんだから、金髪ありえないことはないでしょ?と思うんですが、金髪って一応、劣性遺伝なんですよね。
4分の3が日本人の血であるナナミンは、正直なところ、黒髪で生まれてくる確率の方が高いです。
いまはどうやら、優性遺伝・劣性遺伝とは言わず、顕性遺伝・潜性遺伝と呼ぶみたいですね。
優劣という語はあまり良い印象がないですし、気を付けていきます!
潜性遺伝、ちょっと一発変換はできませんが、こちらを使っていこうと思います。
話を戻します!(何回使ったんだ、この言葉)
「マンガだからクォーターってわかりやすくするための色彩でしょ~」と言われるかと思うんですが、ただのオタクの戯言であるということ、それから記事の番外編なので赦してください。
キリスト教において、色彩には意味があります。
国立西洋美術館(そういえば世界遺産に登録されましたね!)の常設展で宗教画を眺めていれば、その法則性めいたものはなんとなく(本当になんとなく)見えてくる気がします。
特に、青は父(神)、黄色は子(イエス)、赤は精霊を示し、この三色は三位一体を表すわけです。
金髪で、ポムポムプリンちゃんとコラボしたナナミンは、黄色以外の何物でもないでしょう。
ということはキリスト!?となるんですが、ナナミンは三日後に復活(これがイエスの最大の奇跡)してくれなかったので(だから虎杖くんの拠り所はお兄ちゃんだけだったもん……おねがいだからお兄ちゃん、死なないで)、この意味ではないだろうというのがぺんぎんの所感です。
ちなみに黄色には、こんな意味もあります。
映画など、視覚に訴える芸術では、確かに黄色が否定的な意味で使われる例が見られる気がします。(実例はまっっったく浮かびませんが)
おそらく、ナナミンが黄色であることに理由があるとすれば、後者でしょう。
なっていったって、金髪だし!
そういえば、ナナミンと同い年の禪院家のスピードスターも金髪でしたね。彼は染髪っぽかったですが。
ちなみにですが、黄色のマントを纏った、使徒ペトロはイエス・キリストから天国の鍵を授けられています。
この天の国の鍵がどんなものかはわかりませんが、ナナミンが遺したものと言えば、アレでしょうか。
はい。
もしかしたら、天の国の前で虎杖くんを待っているのはナナミンなのかもしれません。(それだと鍵じゃなくて、番人になってしまう)
なんか悲しくなってきたので、次に行きます。
ナナミンの好物
ナナミンの好物、パンとお酒とアヒージョですね。(酒は趣味なのかな?)
パンについては、公式ファンブックが発売される前、コミック3巻時点から言われていました。
酒とざっくり言われてしまうと、困ってしまうんですが、まあ、ちょっと都合よく事実を型に押し固めて、ぶどう酒と考えてみたら楽になります。
パンとぶどう酒、そう、最後の晩餐です。この場面じゃなくても、小石をパンに変えたりする奇跡は起こしてるんですけどね、イエスさん
レオナルド・ダ・ヴィンチ(ヴィンチ村のレオナルドさん)の絵でも有名です。(徳島県の大塚国際美術館には補修前と補修後の絵が飾ってあります)
キリストが捕らえられる前夜の話なんですが(ユダさんはどんな気持ちで席に着いたんだろう)、ここでキリストが口にした言葉が有名です。
マタイによる福音書どころか、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書と、すべての福音書に書かれています。そりゃそうか。
とはいえ(長くなるので)今回はとりあえず、マタイだけで。
こんなことを言われたら、パンもぶどう酒も口にできないですけどね。
ちなみにこの後、一同はオリーブ山にでかけます。
この一連の出来事は、聖餐式などに受け継がれてますね。
それからアヒージョです。
アヒージョって、実はあんまり食べたことないんですが(今回調べてから、「あの料理がアヒージョっていうんだ~、ああ、あれね」って知りました)、あれは油をいっぱい使う料理なんですね。
検索履歴が「アヒージョ 作り方」で埋まってしまいました。
これってパンに浸してたべるのが正解なのかな。
この油、というのはキリスト教でかなり重要視されています。
その中でもオリーブ油というのは、貴重な品でした。(アヒージョに使うのって、オリーブ油なんですよね!?調べたレシピは正しいですよね!?)
わざわざアヒージョ、というオリーブ油をいっぱい使う料理に限定するあたりに、なにかしらを感じざるをえません!!!!
だからなんだというわけではないんですが、ナナミンのプロフィールを読むと、至るところで、そんな風味が感じられます。
あとがき
はてさて、そんなこんなで1万5千字を目前にしています。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
まさか、雑記がこんな字数になるとは、ぺんぎんも予想していませんでした。
今月の4日には、20巻が発売されましたね。
本誌で読んだから~と思って、読まないで本棚に仕舞ってしまいましたが、たまにコミックで付け足されたり、変更されたりする点もあるので、これから読もうかなと思います。
もしいつか、お会いできることがありましたら、そのときもあたたかい目で読んでいただけたらと思います。
それでは、これからも楽しく呪術廻戦を読む日々を送りましょう!
(日車さんも好きなんですが、彼もどうなるかわからなくて怖いです)
※本記事で引用した聖書はすべて、新共同訳のものを用いています。
※なお、その他の辞書などについては引用元に書いてある通りです。
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