私の不妊治療歴(1人目)
2人目妊活を考え始めた、と先日書いたが、1人目の妊活はなかなかの苦戦を強いられたのだった。
私の過去を思い出してみる。
結婚したあと、妊活を、と考えたころ、仕事が激務で体調を崩し、生理が来なくなった。当時32歳だったかな・・。
そんなこともあり、子供も欲しかったし、不妊治療で有名なクリニックに足を運び、もろもろの検査をした。
私は多嚢胞だとわかり、夫の元気な精子の数は少ない、ということが分かった。
精子の数は、人工授精でギリギリいけるかいけないか、というレベルで、
数回人工授精をしたもののもちろんうまくはいかない。
体外受精(顕微授精)へステップアップした。
3つの受精卵(3日目胚だったかな・・)ができて、これで妊娠できる!と思ったが、3回移植するも陽性反応すらもらえなかった・・。
そして、転院。
高刺激のクリニックで「採卵は負担もかかるし、2人目の受精卵まで作ってしまいましょう。」といった方針のクリニックだった。
多嚢胞の私は、26個くらい(確か)の採卵ができて、12個は、前核期で凍結。
残りは9個の胚盤胞ができた。
これであっという間に妊娠できるだろう!と喜んだものの、
移植してもしても陽性にすらならない!
不育症の検査をしたり、鍼に通ったり、サプリを飲んだり、色々なことにお金を使った。
1~3回目の移植は、胚盤胞1個戻し。
4,5回目は2個戻し。
そして、5回目の移植で授かったのが、今の息子だ。
当時のクリニックは、うまくいくのもいかないのも、全部受精卵の質によるもの、という考えただったので、
卵がよくなかったのでしょう、という結論だけで、見解も少なく、当時はもやもやしたりもしたが、一途に毎月毎月移植をした。
そして33歳で出産。
なんであんなにうまくいかなかったんだろう、
確かに仕事も忙しかったし、目に見えないストレスがあったことも事実。
当時はテレワークなんてなかったから長時間労働の日々でもあった。
生理の周期も乱れまくってたから、薬でホルモン充填しても、内膜の厚さはギリギリのことも多かった。
まぁ女性としては、荒れてたんでしょうね。
そんな1人目の不妊治療だったので、
2人目だってすぐにうまくいくとも思えない。
でも幸い、私には32歳のときの受精卵がたくさん残っている。
質がいいかは分からないが、数はそれなりにある。
「新たな採卵はしない!残りの受精卵で結果が出なかったら、それが運命と一人っ子として育てよう。」
そう夫と決めて、2人目妊活を始めたのだった。
そして今年7月後半に再びクリニックを訪問。
血液検査をすると、風疹の抗体がない・・・!
「この数値を見ちゃった以上、治療はできません」と先生に言われてしまったため、ワクチンを接種して、2か月は妊活禁止。
そして、2か月後、決意を新たにクリニックに舞い戻ったのでした。