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移植陰性後の話し合い

あまりにも酷すぎる暴言の嵐の陰性判定の後、シロー丸(旦那)がいる時は、明るく振舞って過ごしました。

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正直、私じゃない人からすれば、まだまだ高度不妊治療に移って一回目の判定日だし、落ち込むなんて何甘ったれてんの?って感じだと思ったからです。

辛い不妊治療だけど、やっぱりその全部を経験者じゃないとわかってもらえないから、あまり弱い自分は見せたくなかったのです。

でも、それでも辛いです。

こんなに辛いと思いませんでした。シロー丸が寝た後、会社へ行った後、一人になった途端、泣けて泣けて仕方がありませんでした。

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自分は、なんて不甲斐ないんだ、こんな大変なお金と時間をかけて治療してまでも失敗するのか。きっと私だからダメなんだろう。自分は、本当に情けない人間なんだ。

心を切り裂かれた気分でした。

それは、しばらく続きました。心を切り替えようったって、どうしていいかもわからないのです。初めての陰性判定は、まだ陰性と言う事実だけだったらあんなにも悲しまなかったかもしれないけれど、タコチュー先生カップルの刃物のような言葉を思い出すたび、みじめなのか、悔しいのか、言葉にできない感情が押し寄せてきて、そこに加えて”妊娠できなかった”という事実でトドメをさされるのです。

愛犬の桜だけが、そんな私の裏側を全部見ていて、心から味方でいてくれてた気がします。

そして、その頃から、不妊治療の病院を転院することについて、話し合いを始めました。

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シロー丸の意見は、転院に100%賛成と言う感じでしたが、私としては転院に傾きつつも迷ってはいました。

やっぱり大変な病気をして手術をしてもらった病院だし、もちろんいい先生もたまにいました。(3分の1くらいは・・・)

後は、婦人科の方の担当医の先生の事はとても信頼しているし、本音を言えば、このままボー大学病院で妊娠もして出産もできれば、そんなにも予定通りな道はありません。

だけど結局は、妊娠という地点にすら立てなければ、自分達の今走っている場所に置いて納得もできないのです。

ただ、私の場合、不妊治療専門クリニックに転院しようとした所で、特殊な手術をしているため断られるという心配もあったので、それは事実として大きな悩みどころでもありました。(実際、このしばらく後、とんでもない事件が起こることになります)

とは言え、凍結胚は、あと1個残っているのです。

ひとまずここは、今眠っている凍結胚に望みをかけることにして、転院先もそれとなく考える。そうすることにしました。

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でも、そこに100%の望みをかけられないのが、不妊治療のつらいところですね。いつだって、うまくいったらってことよりも、だめだったらって時のことを考えていなきゃいけない。

それまで、高度不妊治療さえすればどこかで妊娠できるでしょうと、お気楽な気持ちでいた私にとって、タコチュー先生の宝くじ発言は、お気楽な私でさえも繊細になってしまうくらいの破壊力がありました。

まぁ、元を辿ってみれば、お気楽にさせたのもタコチュー先生の発言でしたが。


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