洋子
自己中心的な貪欲さを捨て、他人への嫉妬も、羨望も、軽蔑も、怒りも、へつらいも、嫌悪も、威圧も、憎しみも洗い去り、常に人の立場や全体の立場に立って、自他の対立をもたずに考え、みつめつづけることは、あらゆる生物を抱擁し、御仏の慈悲憐愍(れんびん)の心になることであった。無欲は大欲に通ずる。無我になることは大我になることでもあった。
御仏の慈眼は比類なく美しく慕わしい。人々のゆくえを慈悲と愛の心でみつめ、人々の生死の悲しみにたえ、命の尊さの本質をとらえる深い眼ざしはあわれみ深く、慈しみ深い悟りの智恵と知識で人々をむかえてくれるのだった。
熊野道夫は内陣の中の美しくたおやかな観音菩薩をまばたきもしないでみつめ、一心不乱に読経し、読呪して、昼夜の感覚を失うことがある。唯ひたすらに、ひたすらに読経し、読呪し、厳しい修行にいそしんで無我の世界を求めつづけるのだった。
「色即是空」―― 空の智恵とは、力も心もなく自然の道理にかなった大智、悟りの智恵であり、仏教の理想であった。自然の大智を求め絶対確実の力を得ようと信仰する信者が法明寺にもいて、金満家である彼等は多額の布施により自己の平和と安らぎを独善的に定認させていた。肌ざわりのよい信仰を見つけ、安住することが彼等にとっては信仰であり宗教であった。
楠木洋子(くすのきようこ)は上智大学の英文科を受験し、不合格だった。檀家である楠木富司(とみじ)の末娘で、法明寺には時折、姿を見せる。光沢のある十九歳のバラの花弁のような華やかさと悠揚な美しさは、法明寺のような抹香(まっこう)臭いひなびた寺には似つかわしくなかった。
きめこまやかな白い肌に切れ長の黒眼がくっきりと映え、 泰然とした面持ちは没することを知らない権勢と栄誉にはぐくまれ育った甘えと、自己本位的な強情さをうつし、業の深さを滲み出していた。
洋子は受験合格の祈願で母につれられ法明寺に来て以来、冷々として静寂な霊園の聖域にひかれてか、気のむくままに悠然と姿を現わし、忽然と天馬のように金色のたてがみを靡かせて立ち去るのだった。
時のつぶやき
人の世の
悪魔の使者の
紙きれは
可愛い顔して
浮気して
天上をにらみ
地上をこがし
天使のように
微笑む
ねぼけたナマケモノは落ちた
力は神なり
金はすべてなり
そして馬鹿は
永遠なり
チクタクチクタク