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僕らが選べなかったこと、選んでこなかったこと

石油王の跡継ぎに生まれなかったのも、木村拓哉の容姿に恵まれなかったのも、ジョブズのような才能に恵まれなかったのも、空気の読めない両親の元に生まれたのも、僕が選んできたことではない。
いくつになっても酒がやめられず、自堕落な生活から抜け出せないのも恐らく…。

そう。
こればっかりはどうしようもない。ということは結構ある。
人類は選べないことばっかりである。

キムタクに生まれなかったのは、自分でコントロールできたことではないので「諦める」という選択をする。
つまり諦めるという言葉を使うのは、自分以外の、誰かの、何かのせいにして終わるということでもある。

社会のせいだから。
上司のせいだから。
暑いから寒いから温暖化している地球のせいだから。

だがそれは正しい「諦」ではない。諦には明らかにするという意味がある。
「諦」に対しては、「現状を受け入れ、解決へのルートを探す」という理解が望ましい。

ゼロからスタート。

翻って人生は選べることも割と多いのだ。

僕は諦めているわけではない。

選択して片付かない部屋に暮らしている。
脳のストレージの確保のために忘れることを選択している。
禁酒の決意は身体のことを慮って3日以内に留まらせることを選択している。

選択しているだけである。誰がなんと言おうとも。


(214日)

#エッセイ #コント部 #僕なりの幸福論 #毎日note #選べなかったこと #選べること

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