見ているのか見させられているのか
最近ではテレビをほとんど見ることがない。なので連続テレビ小説の話題とか相撲の話を振られるとタイヘンにこまる。そもそも友人がいないので、振られることも無いし、話しかけられることも少ないが。
標準的貧乏家庭に育った僕の家には2台のテレビジョンが稼働していた。5人が暮らす標準的貧乏家庭では父祖母母兄僕という、何年たっても変化のしようのないヒエラルキーが存在した。僕が上層階に昇り詰めるためには、本当の僕の父親と名乗る人から謎の遺産が転がり込むか、僕以外の家族が宇宙人にかどわかされるかしか術はない。
祖母の部屋に一台あるテレビは万年時代劇チャンネル、居間のテレビは万年スポーツチャンネルである。時折兄の見る戦隊ものやアニメなどに切り替わることはあっても、最下層にはチャンネル権などというゴールドカードは存在しない。
そんなこともあってか、ただ食べているだけとか、出演者だけが楽しんでいるようなテレビ番組は、いつの頃からか面白いと思わなくなっていた。日曜日の笑点だけは欠かさないが、視聴時間は一週間で1時間にも満たない。
現在ではYouTubeの有料プランを契約しようか迷う愚かなオジサンである。結局ダラダラ見続けるのに変わりはなく、テレビ好きを非難する立場にはない。
ダラダラ見せさられているか、選択してダラダラ見ているかだけの違いである。
(197日)
#エッセイ #コント部 #僕なりの幸福論 #毎日note #テレビ嫌い
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