未来への解釈 ~夢はありますか~
蒸気機関から電気へと歴史が変化した時代にも、その境に暮らす人々には急速な環境の変化に戸惑う人も多かったのだろう。自身のIT化デジタル化に出遅れてしまった現代のオジサンたちも。
安い居酒屋でグダグダとオジサンたちは愚痴をこぼす。「俺たちは個性とかいう自分の中のファンタジーを排斥し、寝る時間も家族との時間も社会に捧げて迎合して貢献してきたんだ。大将!芋焼酎おかわり!」
いい歳してそんなもん語ってるなとか、オジサン痛いとか言わないであげて。
そのうちだんだん声が小さくなっていくんだ。それを越えるとウチの父親のように耳も遠くなって、逆に声がでかくなるから。みんないずれそうなるから。楽しみに待っていてくれ。
家庭を持ち家主となり家族の手足となり、心の慰めに犬を飼い会社の飼い犬となり、健康と自由を引き換えにサラリーとストレスを糧として生きてきた。
夢のために、家族の幸せのために頂上を目指していった。
足元ににあったはずの美しい花や、少し顎を上げたら見えるはずの、のどやかな景色の変化に気づくこともなく。
ムラも結構怖ええだよ。LINEグループとおんなじなんだよ。八分にされたら最期なんだよ。
考えることを諦め、不自由を常として生きてきた。それが最善で、それが幸福だと教えられてきたから。そうしたら幸せな老後になると約束されていたから。
だが成果を上げることが人としての夢なのだとしたら、会社人としての終焉とともにそれは消えてなくなる。
儚
若者の将来就きたい職業 "会社員”
世代間でマジョリティーが大きく変化している世の中なのに、決裁権があってお金持ってるのはオジサンたちばかりだもんな。オトナたちは若者の不安も理解せず「若者よ夢を持て」を連呼する。マジうっせえわ。わかるよ。
でもね、憂いてる人は優しいんだよ。
優
アカウンタビリティは必要だけど、だっせえって思わなくてもいい。
夢だって腹はち切れるほど語ればいい。
そんな今の僕にだって夢のひとつくらいはある。
願わくば安らかに苦しまずに寿命をまっとうすることである。
(245日)