
人生を楽しむという課題
子どもはなんだって楽しいし、ちゃんと自分たちで楽しいをみつけてくる。どんぐりもダンゴムシも、割れた瓶の欠片だって宝物になる。遊びのルールを考えるし喧嘩の落とし前だってつけられる。オトナが天に向かって真っすぐ育てようとするからややこしくなるんだ。僕はそんなオトナたちに逆らい、曲がり放題に曲がって過ごしてきた。
曲がったまま生きればよかった。こんなに真面目に社会に適合する予定ではなかったのに。(とは、今のところ誰も言ってくれない)
そう思い始めてからは自堕落な自分らしさを求めている。
若者よ。堕落しろ。
そしてなにより、オトナから押し付けられる「子どもが喜ぶだろう」が大嫌いなんである。はっきり言おう。オトナが子どもにすすめるものなんて、大半がくそつまんねえのである。
「世界には、これこれこういう、金と欲にまみれた平和の祭典と呼ばれるものがあります。清廉なアスリートたちが金漬け薬漬けにされてハラスメントを繰り返されボロボロになるという長い歴史を持つ由緒正しいショーがあるのですが、もうあななたちが生きているうちに日本で開催されることはないかもしれませんし、運営組織が無くなるかもしれません。そんな世界的な見世物を一緒にライブ観戦しましょう!」
感動を押し付けないで欲しい。ホコリだらけの運動会のスローガン「一致団結」が薄気味悪く、苦痛以外のなにものでもない人だっていたはずなんだ。むしろ体育会系が外野となり、一切口を挟めない文化祭では自ら企画側に飛び込み、浮かれ騒いだ人も多いだろう。そう、僕のように。
オトナの価値観だろう?
子どもにとっては今日のセミ取りのほうが大事なんだ。今日のセミにはもう一生出会えないんだから。
その時々の年齢の感動があるはずだ。年寄りに「楽しいからディズニー1時間並べ」と言ったって虐待でしかないだろう。
若者たちは楽しむことに関してオトナよりずっとプロ意識が高いんだ。楽しさの理想を押し付けても迷惑なんである。
高級フレンチと年代物のブルゴーニュがあれば相手が喜ぶと思うなよ。もんじゃ焼きにホッピーだって、楽しかったら美味しかったら嬉しいんだ。
僕は高級フレンチが嬉しいけどな!
(237日)
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