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ハナレさんに花束を~緊急事態に酒愛を⑯最終回

酒の席に絶対に顔を出さない人がいる。別棟に部署があり、その存在が薄いことから、社員からはハナレさんと陰で呼ばれていた。
昔の呼び方だと窓際族、今ならウィンドウズというところだろうか。
定年を過ぎ、継続雇用でこの部署に配属されている。といっても、この別棟にはハナレさんしか従業員は居ない。書類庫を管理するだけの、いわゆる閑職というやつだ。パソコンの調子が悪いと言うので様子を見に行ったところから、休憩時間にぶらぶら散歩している僕をみつけては、話しかけてくるようになった。パソコンの習得も、この年代にしては飲み込みが早いし、言葉の選び方にも頭のよさを感じる。コミュニケーションも問題なさそうなのに、なんでこの人この場所にいるのだろう?というのが素直な感想だった。
今日も昼食から戻る僕を待ち構えて、小さく手招きしてきた。仲間たちと旅行にいくためのしおりを作るんだと、余白が上手くとれないから手伝って欲しいということだった。自力でなんとかしようと苦労した痕跡の残るプリントには『断酒会』と小さくメモ書きがあった。

「息子が就職決まって。」
聞けば誰もが知っている超大手企業だ。遅くに授かった一人息子を大切にしていることは何度も聞かされていた。
「すごいですね。息子さん頑張りましたね。ご両親も安泰だ。」
「今回、再雇用の更新をしないつもりだ。」
「…退職、されるんですか。」

今日の飲み会は、ハナレさんの退職の話題になった。といっても、若い僕らはハナレさんの現役時代の事を知らない。
「送別会は本人のたっての希望で行われないそうだ。」「あの人は酒を飲んじゃいけない人なの。」「仕事中にぶっ倒れて救急車に乗ったって話も聞いたよ。」「今ならパワハラとかでヤバい感じの状況じゃね?」「仕事は出来たらしいよ。出る杭打たれる系?」「要するに、施設に入んなきゃいけなかったレベルで…」

みんなが知る限りのキーワードを繋いでいって、初めてハナレさんの輪郭が見えた。

外れてはいけない社会。他人の評価を先行させて生きてしまったために。自分の中に頼れる場所がなくて。自分が、自分の中にすら存在しなくなっていることに気づかなくて。お酒に隠されてしまった心に、行き場が、生き場が、なくて。

その日の飲み会は、なんだかぼんやりと過ごし、一次会で帰宅した。

ハナレさんの最後の日、ふと思いつき近所の花屋に立ち寄り、小さな花束を作ってもらった。他の社員に気づかれないようにそれを携え、終業時刻にハナレさんを訪ねた。
「これ、奥さんに。食べ物の好みとか、わからなかったから。」
「そうか。ありがとなー。」
「長いこと、お疲れ様でした。どうぞ、お元気で。」
どういう訳だか定型文みたいな言葉ばかりで、ちっとも気の利いた言葉が出てこない。

「お前も元気でな。健康は一番だ。俺は負け犬なんだって分かってるよ。それから自尊心なんてのは、ほとんどの時には役に立たないもんだってのもさ。

そう言うとハナレさんは、いつもよりはっきり、それとわかる笑顔で、いつもより長めに手を振ってくれた。

僕はもう一度、お元気で、と小さく声をかけた。


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