【何をしても人は蘇らない】神田沙也加さんの亡くなった理由から思うこと
2021年の年末に神田沙也加さんが亡くなられたとニュースで知り、自分と同世代の活躍する女優さんが亡くなられたことに衝撃を覚えました。
まだまだこれからで、多くの楽しいことを経験する輝いている人が何故亡くならなれけばならないのか。
輝いている人であるこそ、日頃から人には言えない悩みも多くあったと思います。
親が偉大な人は簡単に弱みを他人に出せない
特に親が偉大な人は、あくまで自分自身の所感になりますが「人に弱い部分を簡単に出すことは出来ません」
何故ならば、相談した相手を間違えてしまい、「その後の周囲の反応が自身にとって耐え難いものである」ということを僕は経験したからです。
親が偉大であるからこそ、辛いことがあっても優位な立場なのだから、もっと頑張れ。甘えるなよと。
僕は「人に相談した結果、不特定多数の人間が自分の悩んでいることを知ってしまった」ということを経験しました。
結果、
「そんな大したことがないことで悩んでいて情けない」
「あいつは周囲の陰口を言っている」
「人より有利な立場なのだから」などと言われたことがありました。
そのため、それ以降は自分自身で抱え込み、どんなことがあっても誰にも言えない日々が何年も続くことがありました。
自分自身でもそうでしたので、神田沙也加さんのように、立場が芸能人であれば、影響力が強い分、なおさら人に相談したくても出来ないことが多かったと思います。
言葉は「本当に選ばないと」人を傷つける
言葉はいとも簡単に人を傷つけます。
本当に簡単に人を傷つけます。
発した本人にとっては「何も感じない発言」であっても、受けた相手にとっては耐え難いものであることが多くあります。
週刊文春に載っていることが真実かどうかは僕にはわかりません。当事者にしかわからないことです。
本当にこのようなことがあったのかはわかりませんが、もし本当であるとするのならば、「言葉は暴力以上に暴力になる」ということを伝えたい。
そして、失った命は二度と戻らない。
逆縁で子どもを送る親の気持ちは、誰にも理解が出来ないほど壮絶なものです。
攻撃的で人を傷つけた結果、取り返しがつかないことが起こる。
しつこいですが、そのようなことが本当に起こります。
相手の話をしっかりと聞く。一方的に罵声を浴びせることはフェアではありません。
あの人に話を聞いてもらって救われたと言われる人格者に、僕は将来なりたいと強く思います。