食べるという供養
冠婚葬祭において「食べる」ということはかなり重要なウエイトを
占めています。いや「冠婚葬祭とは?」という素朴な質問に
端的に答えるならば「食べること」と答えても間違いは無い
はずです。それくらい食べ物は大切なのです。
以前の記事に「ハレとケ」で書いたように
「ハレ(晴れ)」という「非日常」と「ケ(褻)」という普段の生活
である「日常」があり、非日常の時にしか口にできない食べ物が
ありました。
今ではいつでも食べることができる餅、赤飯、白米、尾頭つきの魚、酒
などは本来「ハレ」の日しか食べれなかった神聖な食べ物なのです。
普段食べることの出来ない食べ物の食べれるという楽しみが
冠婚葬祭にはあり、多くの人々は冠婚葬祭は葬儀・法要も含めて
楽しみでした。
葬儀や年忌法要において食べるということはお亡くなりに
なられた人と一緒に食べるという意味合いが含まれており、
すなわち「食べることが供養」に繋がります。
日本人の持つ宗教観には神様・仏様・ご先祖様と食を囲むことを
大切にしてきました。
そういった意味では食事をしないということは供養をしていないとも
解釈することができるのです。
ところが、葬儀の葬儀小規模化や簡略化の流れの中で、葬儀や
年忌法要で食事をしない方が年々増えています。年忌法要はするが、
親戚を呼ばないから食事は無し。葬儀の中で初七日のお経もまとめて
したから、食事は無しなどなど。。。
兄弟間で仲が悪いから一緒に食事をしたくない。面倒だからしない。
なんて理由でされない方もあるのです。
上記の理由は現代だからとは言えません。昔からこのような理由は
あるのです。それでも昔は皆さん集まって食事をしたのです。
それはやはり、非日常のお葬式でしか食べられないご馳走があったことの
影響力は絶大です。
もしも葬儀の時しか食べられない美味しいものが存在したら、
今のように葬儀の後に食事なし、年忌法要の後に食事なしなんてことは
ならないでしょう。
食べることは供養であるということ。
日本人が大切にしてきた民族の文化が少し崩壊しつつあるのです。
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