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【ふなログ512】ただの石コロでも、振り向いて貰えればダイヤに磨かれる。


今年3度目の富士登山に挑みます!

8/20(土)の朝4:00に自宅を出て、
5:30あたりに御殿場口五合目に到着。


ここから、
富士登山ルート最難関と言われている
御殿場ルートで登山する予定です。

余力あれば剣ヶ峰(3,776m)と
お鉢巡り(噴火口一周)もしてから
下山してきます。


下山道は七合目から五合目あたりまで
砂礫の道を一気にまっすぐ滑走できる
「大砂走り」で2時間ほどで一気に下山する予定!

今から楽しみでなりません・・・!


ところで、
最近、生きる上で「PR活動」つまり

「認知して頂ける活動」
というのは、
とても重要なことである
と感じています。


これは、
ビジネス的な面で語れば「営業活動」です。

しかし、
直接金銭が関わる取引だけでなく
「就職活動」「転職活動」も同じく「PR活動」ですし、

ペーパーテストでない入試試験での「AO入試」
(あまり詳しくはありませんが)
も同じく「PR活動」ですし、

恋愛でも意中の異性に
想いを伝えるのも「PR活動」です。
(恋愛でこう書くとロマン性が薄くなりますが)


自分という存在を知ってもらわないと、
自分の価値も知ってもらうこともできない。
ということは、
誰かのお役に立つことも出来ず、
お金を儲けることも出来ない。

つまり、生きる上で
重要な活動なのです。


しかし、過去の私は
そのような「PR活動」について、
ずっと逃げ続けてきました。

自信がない。
中身も実力もない。
誰かよりも劣る。
誠実じゃない。

という理由でPRしない。


PRしたいけど、
PRに値するだけの中身が伴わない。
「有名無実」「中身スッカスカ」になるくらいなら、
誰にも知られない方がマシだ。

…という考え方でした。


しかしこの考え方だと
商売するにも転職するにも、
「実力を付けてから」と、
アテのない勉強や業務に勤しみ、
「準備」という逃げに入るパターンに陥ります。

しかし、この状態で
いつになったら
「実力が付いた」状態になるのでしょうか?


これ、徒然草188段で
僧侶になるために色々と学問や芸事を
身に付けようとすることにかまけているうちに、
僧侶になる前に歳をとってしまった、
という
笑うに笑えない話に似ています。


人は思うよりも不完全です。

もちろん、
お金を頂くからにはそれに値する力は必要です。

しかし、
PRしてから相手に自分を知ってもらってからでも、
実力を付けていくには遅くありません。
(もちろん、最低限の水準はクリアしなければなりませんが)


多くの場合、
顧客が求めるのは完全性よりも
「自分に対して真摯に向き合って価値を出そうとしているか?」
という姿勢の方だと思います。

もちろん、
「実力が伴わなければ・・」というのはありますが、
多くの場合、
最初からそこまで
悲観し過ぎる事も多いのではないでしょうか。


同じ石コロであったとしても、
見つけてもらう石コロになるか?
見つけてもらえない石コロになるか?
という話です。


見つけてもらえないままであれば
100%ただの石コロのままです。

しかし、
見つけてもらえれば
そこから磨き上げられてダイヤになる可能性があります。


最近、
「六本木クラス」というコミックにハマっており、
先月私が観ていた
韓流ドラマ「梨泰院(イテウォン)クラス」原作コミックの
日本語訳版です。
(絵は淡々としたタッチですが、シナリオや心理描写は素晴らしいです)


昨日最新の6巻が発売されて夜中に早速読み、
詩集『私は石ころ』の
『私はダイヤ』という詩が出るシーンに、
思わず夜中に目頭が熱くなりました。
(ちなみに、この詩集は架空のものです)

炎で焼いてみよ
私はびくともしない石ころだ
強くたたくがいい
私は頑強な石ころだ
暗闇に閉じ込めてみよ
私は一人輝く石ころだ
砕けて灰になり腐りゆく
自然の摂理すらはね返してやる
生き残った私
私はダイヤだ

詳しくは、
韓国ドラマ「梨泰院クラス」第12話の詩【私はダイヤ】とは?OST「石ころ」動画も紹介
を読まれると、この背景がよく分かります。
(この記事はドラマ版の方です)


ーネタバレしてしまいますが、ご容赦くださいー

料理対決のテレビ番組で、
店の名をかけて主人公が経営する会社のシェフが出場。
ライバルの大企業のシェフに勝ち続けるが、
その大企業の常務(かつての仲間)が
主人公とそのシェフの暗い過去をマスコミにリークし、
イメージダウンを図る。

シェフである「りく」は、今でこそ女性だが、
トランスジェンダーであることを暴露され、
番組の収録前に
精神的に不利な状況に陥ってしまう。

それを知った休暇中の仕事仲間である葵が、
電話越しに詩集『私は石ころ』の『私はダイヤ』という詩を
りくに言い聞かせるシーンです。


その後、精神的に立ち直った彼女は、
視聴者と下世話なインタビューをする番組の司会者に、
このように伝えます。

私はトランスジェンダーです
私が私であることを誰かに認めてもらう必要はないと思っています
私に堂々とあることを教えてくれて
これまで私を信じてきてくれた仲間たちに
料理人として恩返しがしたいと思ったからです
今日の料理は初めて真剣に料理に向き合った時の思いを胸に作りました
『六本木クラス6』-類は友を呼ぶ-


逃げる選択肢もあったはずですが、
堂々と自分に向き合い、仲間を信じて奮い立ち、
観客に主張するシーンです。

色々な見方があるシーンであり、
過去と自分に向き合って逃げずに立ち向かう姿に
私としては心が震えてしまったのですが、

「トランスジェンダー」という偏見に満ちた視線を
逆に利用して、
注目を浴びるように自分をさらにPRした、
というように私は感じました。


世の中に知られることで
知られないよりも人一倍苦しむかもしれない。
しかし、知られることで前に進むこともできる。

石コロのような存在であっても、
世の中に知られることによって、
それに応えるように
焼かれようとも磨かれて
ダイヤのような存在に
なる。


もし、燻っていたり、
成長が停滞しているかも?という感覚があれば、
敢えて、知ってもらえるように
PRしてみる活動に切り替えていくと、
思わぬ方向に人生が加速していくかもしれません。


私も石コロのような存在ですが、
同じ石コロであればダイヤのような存在になりたい。


そのために、
認知してもらえるようなPR活動をしていくのは、
決して恥ずかしいことではないと感じています。


まずは、積読していた
ジャパネットたかたの髙田明さんが書かれた
『伝えることから始めよう』
を読んでいる最中です。

「ふなネット」目指してますのでw


ということで
小さなところから、
PR活動を始めてみましょう!


それでは、
今日も素敵な1日をお過ごしください。

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