【ふなログ558】自然の揺らぎを眺めながら、「感受性」の大切さを知る。
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昨日の日曜日は
久々に仕事丸ごと空けた日でした。
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仕事を空けた代わりに散髪に出掛けた後、
子供たちを連れて車で横須賀方面へ。
自宅から車で30分弱で到着する
「ソレイユの丘」に向かいましたが、
残念ながら「来春まで休園」という看板があり、
今度は、観音崎公園まで向かいました。
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海岸で貝殻を夢中になって集める長女と、
岩肌を登る次女と、
夢中になる対象が異なるのも面白い。
一方で
私の方は?と言うと
寄せては返す波の様子や、
草木が風に揺られて囁くような様子に
不思議と見入ってしまっていました。
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早朝にウォーキングに繰り出していた時、
近所の銀杏並木が青く茂っていることに気付き、
「この葉も、もうすぐ黄色く散っていくんだなぁ」
などと、少々感傷的にもなったものでした。
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日頃は
比較的「論理的な面が強い」と言われている
ITエンジニアのお仕事をさせて頂いているのですが、
長年付き合ってきて、
どうも私は「論理的な面」だけでは仕事ができない、
ということにも気付いています。
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「理屈だけでは仕事ができない」
ということでもあり、
仕事に取り組む主体としての私は、
間違いなく人間としての私。
そして、組み上げた
ITやソフトウェアの仕組みをもって、
便利さを享受するお客様も人間。
「感情」抜きでは
仕事は務まらないのです。
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理屈通りに事が運ぶような仕事もあるが、
そうならない仕事も多いのです。
しかし、一昔前の私は、
「人間」が仕事をして、「人間」に対して仕事をしている
という、当たり前のことに蓋をして、
自らの感情を殺し、
勝手に「世間体」に沿ったようなイメージで、
ITエンジニアという仕事を組み上げていたように思えます。
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そして、
会社組織内で仕事を進める上で、
色々な軋轢を感じ、
周りが「敵」に見えてしまうような時もありました。
人にはそれぞれ、感情がありますし、
都合だってある。
それを理解しようとせずに、
「〜が悪い」「〜なんて有り得ない」と、
無意識に周りの人間を断罪してしまうこともありました。
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しかしここ数年、
自分の感情を理解しようとし、
それを言葉で表現することを継続する過程で、
「他者の痛み」も理解できるように、少しはなってきたかな・・
とも感じています。
いや、これについては、
目下まだまだ修行中です。
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組織で仕事をするということは、
「個人の感情をどうマネジメントしていくか?」
が大切になってきます。
しかし、
案外それが出来ていないケースは、
結構見受けられるんですよね。
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つい最近も、
とある理由で家族を病院に連れていくために、
半休を頂くことがあったのですが、
そういった事情よりも
「作業進捗(進み具合)は問題ないか?」しか、
上司は聞いてこないとか。
「少々込み入った事情で、当面通院が増える」
と伝えたんですけどね。
もちろん、
作業進捗状況は重要ですし、
プライベートに入り辛い面はあったのだと思いますが、
「ご家族は大丈夫ですか?」の一言くらいは欲しかったな・・
と、少々寂しい気持ちにもなりました。
そういう考えというのは、
組織人として
プロフェッショナルとして甘いのですかね。。
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一定の距離感は大切ですが、
感情面を疎かにすると、
肝心の業務面でのパフォーマンスに
支障をきたす場合がある。
もちろん、
「プロフェッショナルとしては困る」というのは正論ですし、
支障をきたさないように努めるのは個人の役割ですが、
「それでも・・・」というのが、どこかに残ってしまうのです。
「忙しい」の「忙」という字は、
「心を亡くす」と書きますが、
「忙しい」のは有難いことでも
「心を亡くす」ような仕事で、満足して良いのだろうか?
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過去、
「大量生産大量消費」が盛んだった世の中では、
「心」よりも「生産量」とか
「効率性」が最優先の面が強かったのですが、
最近では、
「生産量」とか「効率性」よりも、
「誰が誰に対して仕事をするのか?」
という面が強くなってきたように思います。
(物凄く不勉強なのがバレてしまう私見に過ぎませんが・・)
そのため、
仕事をする自分と相手が生身の「人間」である
ということを忘れず、
感情の機微を掴むことが重要になるかと。
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もちろん、感情に流されて
仕事に支障をきたすようではダメです。
しかし、感情を全く無視した仕事というのは、
結果的にどこかで破綻するのでは?と感じます。
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・・ということを、
早朝のウォーキングと、観音崎公園での海岸での
自然のゆらめきを観ながら感じて書いてみた次第です。
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風に揺れ動く葉や、寄せては返す波を観て。
葉はやがて紅葉により散ってまた、来年葉を付けるという
少し先の未来まで及ぶ自然の摂理にも、想いを馳せながら。
いかなる仕事においても、
「感受性」を忘れてはならんよなと。
AIに仕事を奪われる前に、
人としての付加価値としての「感受性」で
勝負せんとアカんなと。
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一見、そんな「非生産的」と思える時間を、
必ず日常の「どこか」に作って、
大切にしていきたいです。
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それでは、
今日も素敵な1日をお過ごしください。
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