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ライフデザインラボはどうしてできたのか その2 ママだけの場所にしない

ライフデザインラボは横浜の日本大通りにあるコミュニティスペースです。
ラボがどのようにして生まれたのかを2回にわたって紹介しています。
きっかけはミシンだったことを前回の投稿でご紹介しました。

この文章は、コミュニティの運営や住民主導のまちづくり、個人の地域活動への参画、スペースの活用、子育てを含む人生を地域に開いていくことに関心を持つ方に役立ててもらえたら嬉しいです。


ママだけの場所にしない

ライフデザインラボはママだけの場所ではありません。

妊娠出産が私のきっかけの一つだったことは確かですが、ママだけの場所にしないことを信念にしてスタートしました。
当初「子育て支援の専用施設」として他のスペースとの差異化をはかった方が良いとアドバイスを受けました。
「子育て支援」はわかりやすいから
しかし、私はママや子どもに限定した場所にするのは反対でした。
今日はそのことをお話ししたいと思います。

私たち、「失われてる」?!


私はいわゆる「ロストジェネレーション」と言われる世代です。

ちょうど現在子育て中の親にあたる30代40代がこの「ロストジェネレーション(失われた世代)」にあたり、バブル崩壊後の就職氷河期に社会にでた世代です。
不景気で新卒採用が控えられ、非正規雇用やフリーター、派遣などの不安定な雇用でキャリアをスタートし、長時間労働当たり前の中で働いてきた人も多いと思います。


そんな私たちは「自己責任」という言葉に弱いところがあります。
就職で非正規を選んでも自己責任、出産も自己責任、結婚してないのも自己責任、自分で選んだんだから文句を言わずに頑張れと言われてきました。
主語を大きくしてすみません。
少なくとも自分はそう思い込んでいた部分があります。

人生の選択肢を選ぼうと思っても選べなかったのが本当なのですが、自己責任という言葉にさらされて、選択は個人の責任にされてきました。
24時間戦えますか?と問われると「戦えます」と即答する。そういうしかなかった。苦境に立たされてもそれをなんとかするのが当たり前だと思ってきました。

誰にも頼らずにできることは偉いのか?


今からちょうど5年前の2016年のこと。ライフデザインラボが生まれる前の話です。
そのころ、まま力の会という団体で、子ども服を地域で循環させるリユースマルシェを開催していました。
そのときも子育て世代への風当たりは強いものがありました。
子供を産んだのは自己責任。甘えるのは許されない。
世間でもそう言われていましたし、自分たちもそう思っていました。
私たちロスジェネママたちは自分たちのイベントはママ達だけで出来るようにならなくてはならないと思い込んでいました。

街や社会で戦力外とされてきた子育て中のママだってできると言うことを伝えるためには甘えていてはいけない
自分たちが欲しい未来は自分たちの力で作っていかなくてはならない。
小さな隙間時間を持ち寄って何とかイベントを開催していた状況でした。

しかし、そのリユースマルシェの準備の時に窮地に陥ってしまいました
リユースマルシェの搬入・設営の前日準備を、夕方5時以降1時間以内で行うという条件だったのです。
子育て世代にとって夕方5時から動くと言うのは大変な難しいことです。
本当は「その時間は難しいです」と相談すればよかったのでしょうが、私たちはそれに何とか自分たちを合わせようと考えました。

未就学園児を抱えた家庭ではその時間は子育てコアタイム、大人1人が子どもをみるワンオペなことが多いです。

午後6時に搬入設営となると、子どもを連れて現場に出てくることになります。
兄弟児がいる家庭もあるので、1人の母親に子どもは1人以上います。
つまり、現場では、大人の数よりも子どもの方が多くなります。
赤ちゃんを抱っこしているメンバーもいますし、妊婦もいます。
当時わたしは2歳と4歳の子ども連れで、他のメンバーの子どもたちも同様の年代でした。
子どもは皆お腹が減っていて不機嫌だし、逃げ出してしまったり、遊んでしまったり。
身軽な大人2人〜3人がいれば終わるだろう設営が、私たちときたら、大人は10人いても子どもがそれ以上いるわけなので、寄ればよるほど現場は混乱する。子守役と作業役を分担する手もありますが、この日ばかりはうまくいく想像がつきませんでした。

イベントは全くのボランティア活動で行っていましたが、
アルバイトとしてお願いできる人がいないかということも考えました。
しかし、自由になる財布がないところも子育てママの苦しいところです。
また、情けないことにお願いできる人の顔もすぐに浮かばないのです。

もう、らちがあかないのでSNSで助けの声を上げてみることにしたのです

前日準備協力者募集
「ゾウノマママルシェ」の準備にご協力いただけないでしょうか
什器やミシンの運搬と装飾、または子守りです。
ミシンは苦手だけど、力仕事はできるという方!
メジャーで計測したり印を付けたり得意という方!
スタッフママの子どもを見ておいてあげるよ、という方!
手助けしてくださると嬉しいです。

どうか、応援の気持ちで準備にご参加いただけるとありがたいです。

呼びかけたところ多くの応援コメントが寄せられました。
そして、その中の数人は実際に現場に来て手伝ってくれました。
世代も状況も幅広く、子育てをしていることで疎遠になってしまっていた知人や私たちのいつもの行動範囲では出会えていなかった方々の姿もありました。

「気になったから」と様子を見にきてくださる人、「力仕事なら」と道具を持参して参加してくださった方、子どもの軽食を差し入れてくださる人。
皆さんそれぞれに「がんばっている君たちを見て何か助けられないかと思っていたんだ。助けを求めてくれてありがとう」って言ってくれたのです。


助けてといえる社会をつくろう

私たちは間違っていました。
当事者だけでは社会は変わらない。
助けてといえる社会を作ろう

なるべくいろんな関係者と協働で社会課題を解決していくことが、新たな視点をうみ、その課題の解決だけでなくもっと大きな実りを得ることができるのです。

それからは、まちを見る目が変わりました

他にもなんらかの制約を受けながら暮らしている状況の人の姿が見えてきました。困り事は多種多様で他人から見たら困り事に見えないものだってあります。
その人たちの課題を見逃すことはもうできないと思いました。

私は信頼できる他者と手を取り合って暮らしていきたいし、私自身が誰かにとって信頼できる隣人でありたいと強く思いました。

子育てという言葉で生まれる溝

少し話が変わります。
子育てという言葉にはパワーがあります。
正義感や同調性を強く感じ、明るさと同時に暗い影があることも感じています。だから、わたし自身は子育て世代でありながらこの言葉は乱用したくないと思っています。複雑ですね。複雑なんです。

私は「負け犬の遠吠え」「卵子が腐る」などの言葉が世に出ていたときに独身でした。子どもはおろか結婚さえできないかもしれないと悲観していた時もありました。
子どもがいることが偉いのか
家庭を持つことがそんなに偉いのか
自分が少数派だと思い込み、「適齢期なのに結婚していない」「子育てをしていない」という見えない刃に切られて出血していた時期があります。
だから私は「子育て」という言葉で連帯したくない

「子育て」という言葉に対する捉え方は一人一人違います。

子育てしていてもしていなくても、人生は辛く苦しく、そして平等に楽しかったり笑えたりするのです。
それぞれの考え方はバラバラであり、大切な個の人間です。

もちろん子育て中の人たちの苦しい気持ちを解消する場は必要だと思っていますよ。でも子育ての悩みは社会で内包して課題にしていきたい。他の悩みと同じように。

また、誰にでも地域に関わるきっかけが必要です。
子どもをきっかけにできない場合、地域へのきっかけがみえにくい。
でも、つながりは必要だと思った時に必要なのです。
振り返ればそこにあるのがつながりであって欲しい。
「子育て世代かそうでないか」なんてことで分断されている場合じゃないんです。

ライフデザインラボは、「ターゲットは誰なの?」という問いにストレートに答えることができないため、結果やりたいことがぼんやりしてしまったかもしれませんが私は後悔はしていません。

あえてあげるならば、
自分の思いとは別の制約のある人生を送っている人
誰かの人生に沿って自分の人生を描いている人
またはその経験者たちが
自分も他者も
その人らしさを諦めないで済む人生を選択していけるように、

そして、そんな人の隣にいて背中を押してあげる人を増やしていけるように。
そんな暖かなつながりを作っていきたいのです。

わかりにくくてすみません。でも、書きました。これからも一生懸命言葉を探します。

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