課題発見能力と課題解決能力はどちらが大事か。パッドマンを観て僕が思ったこと。
先日、パッドマンを鑑賞してきた。
課題発見→課題解決という
まさに研究そのものという映画で大学院生で研究をしている僕にとってすごく入り込みやすい映画であった。
その中で、インドの宗教観であったり、妻への愛などが描かれている。
課題発見のところにヒンドゥー教の思想が大きく関わっている。
ヒンドゥー教では、血は不浄とされている。
『クルアーン(コーラン)』雌牛章にも、「それ(月経)は不浄である。だから月経時には、妻から遠ざかり、清まるまでは近づいてはならない」とある。
この教えに従い、主人公のラクシュミの妻ガヤトリは生理期間中家の外にいて、何も出来ない状況だった 。
1ヶ月に5日間くる生理で何も出来なかったら、5日×12ヶ月=60日、つまり女性には一年が10ヶ月しかないということにラクシュミは問題を感じた。
(ちなみにこれは世界各地であった、または現在もある慣習らしい。)
https://www.huffingtonpost.jp/hikaru-tanaka/nepal-women-menstruration_b_17512900.html
21世紀に入ってからの話だとはとても思えなかった。
さらに妻ガヤトリが生理処理のために汚れた布を使い回していることを知り、ラクシュミはそこに問題を感じた。
衛生上すごくよくないことであり、それ故に病気になる人もいるぐらいだからである。
そこで生理用ナプキンを買いに行ったのだが、それがすごく高いことにラクシュミは問題を感じた。
このようにインドにはびこる根深い課題に次々と直面していき、「自分でつくろう」という決意をするに至った。
また生理用ナプキンという男性であるラクシュミには直接関係のないものに対してこれほどの当事者意識を持つことができるのは、妻への愛によるものであった。
人間、「誰かのために」何かをする方が力を発揮できるのかもしれない。
さてこのような流れで
生理用ナプキンを開発していくことになる。
「自分で使ってみる」というシーンが僕の中ですごく印象的だった。
他人に使ってもらいたいなら、まず自分で試すという姿勢はすごく大事。
例えば、相手を喜んでもらうために何かプレゼントするときも
「これを自分がもらったら嬉しいか?」と考えるのは結構いいのではないかと思う。
紆余曲折を経て
ラクシュミは2ルピー(約3円)で買える生理用ナプキンを発明した。
生理用ナプキンはこれまで約30倍の55ルピーであった。
これによってインドの田舎の貧しい人たちも生理用ナプキンを買うことができるようになった。
このことから僕は
現在あるものを再発明(改良する、安価にする)だけでも、社会に革命を起こせるんだということを学んだ。
iPS細胞などの0→1の発明に価値があるのは、直感的にもわかりやすいが、
あるものを改良して、より良いものにする
あるものを工夫して、より安いものにする。
ということにも0→1の発明に引けを取らないほどの価値が生まれうるのだ。
またラクシュミの
「インドは問題だらけだから、イノベーションの種がたくさんあるんだ」
というセリフにすごく納得した。
そもそも課題がない(現状に満足している)と、イノベーションは起こりえないからである。
今回の発明だって
日本では確実に生まれなかった発明だろう。
だってナプキン売ってるし、そんなに高くないし、生理が穢れだという思想もないのだから。
今後の社会では、
「課題を発見する能力」というのが非常に大事になってくると僕は思っている。
なぜなら「課題解決」は、テクノロジーの発展によってどの課題に対してもある程度可能だからである。
つまり
課題さえ発見できれば、それを解決するためのツールは整っているということである。
目を凝らせば、日本にも課題はいくらでもある。
その課題を発見し、当事者意識をもって、課題解決に取り組む。
ラクシュミみたいに
そんな人生を送っていきたい。
そう思いました。
2018年もそろそろ終わりますが、僕の中で今年1の映画でした。
みなさん、是非観てみてください。
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