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やっぱり人間は自分にないものを求めるのかもしれない

今日は、秋田県立美術館に行ってきました。

今は平野政吉さんという資産家が集めたアートが飾られています。
「素描と版画」というタイトルです。



その中で、
1886年に生まれて、1968年まで生きた
藤田嗣治さんという人の
作風の推移がとても興味深かったので、それについて書いていこうと思います。
今回は、各作品の描かれた年代に主に着目しました。

藤田さんは、
1930年代ぐらいまでは、(40歳ぐらいまで)
自分の妻をモデルとした裸婦だとか
猫だとかを描いていました。
それゆえに、
藤田さんは、猫と女性を描くのが得意というのが一般的に知られていることのようです。(僕は知らなかったのですが。)

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出典:musey

「猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びた。エコール・ド・パリの代表的な画家である。」wikipedia



ところが、
1950年代後半になると(60歳ぐらい)
「子ども」の絵を描くようになってきたのです。

女性の裸を描いてきたような人が、
突然子どもの絵を描くようになったことに僕はすごく違和感を覚えました。

しかも、この子どもの絵が
なんか操り人形っぽくて、少し不気味な感じだったのです。

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出典:Pinterest
なんでこんな作風が変わったのかな。
と僕なりに考えると、
愛する妻たちとの(何回か結婚している)
子どもがいなかったから、
晩年になって、「やっぱ子どもが欲しかった!!!!」
となって、子どもを描き始めたのかな。という仮説にたどり着きました。

美術館のスタッフさんに聞いてみると、
やはり藤田嗣治さんは、自分自身の子はいなかったようです。

これで、
子どもの絵を描くようになったことが
すごく腑に落ちました。

ちょっと操り人形っぽく描いているのも、
子どもがいる人への妬みや嫉みから来るものなのかなと思いました。

そう思って、
子どもの絵を改めて観てみると
すごく複雑な気持ちになりました。

「やっぱり人間は自分にないものを求めるのかもしれない」
のかなと
藤田嗣治さんの作品を観て、思いました。

終わり。

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