マボヤの右と左 ~卵黄膜たんぱく質が左を決める~ 論文紹介 簡易版

マボヤの右と左 ~卵黄膜たんぱく質が左を決める~

論文名  Vitelline membrane proteins promote left-sided nodal expression after neurula rotation in the ascidian, Halocynthia roretzi
マボヤでは、卵黄膜のたんぱく質が神経胚回転後の左側のNodal遺伝子の発現を促す
著者名  Yuka Tanaka, Shiori Yamada, Samantha L. Connop, Noritaka Hashii, Hitoshi Sawada, Yu Shih and Hiroki Nishida
掲載誌  Developmental Biology
掲載年  2019年
リンク  https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0012160618307231

マボヤの幼生の左右が決定されるメカニズムについての2019年の論文です。
 2012年に、同じ研究室からマボヤの幼生の左右の決定(左右非対称になるしくみ)についての論文が発表されてから、継続的に研究が行われています。
 生物には左右の違い(非対称性)があります。例えばヒトであれば、心臓が左によっていたり、肝臓が右にあったり、左右の肺に違いがあったりします(漫画「右?左?」参照)。もっと分かりやすいものですと、カニの片方のハサミが大きくなります。このような違いを作るためには体の右と左を決める必要があります。多くの生物で、この左右を決めているのがNodalと呼ばれる遺伝子で、体の片側だけで遺伝子が発現します(漫画「右?左?」参照)。不思議なことに、この遺伝子が片側だけで発現するメカニズムは生物によって違います。結果は同じであるのに、その過程が違うということは、生物が進化していく中で何が起きたのか非常に興味深いことです。
 今回の論文では、研究対象としてマボヤを使っています。東北地方では養殖が行われ、食材として知られています。味は好き嫌いが出やすい独特なものだと思います。気になりましたら一度食べてみてはどうでしょうか。このマボヤですが、ホヤ貝とも呼ばれることから、貝の仲間と勘違いされることがありますが、正確には尾索動物になります。尾索動物には脊索という背骨の基になる構造があり、脳を持ちます。脊椎動物にも脊索がありますが、体が作られる中で脊索は背骨に置き換わります。このことから、尾索動物は脊椎動物に進化する前の生物と考えられています。貝は背骨も脊索も持たない軟体動物ですから、貝よりもずっと脊椎動物に近い生物になります。マボヤの成体は固着生活(岩にくっついて動かない)をしますので、脊椎動物に近いと言われても分かりにくいですが、その幼生はオタマジャクシに似た形をしていますので、脊索や脳を簡単に見ることが出来ます。この幼生には左右の違いがあり、他の生物と同じようにNodal遺伝子の左側での発現によって決定することがこれまでに分かっています。
 今回の論文では、Nodal遺伝子の発現を促すシグナル分子を探しています。この分子を発見することで、Nodal遺伝子の発現までのメカニズムを知ることが出来ますが、まだ決定的な分子を発見出来ていません。今回の結果を基に、さらなる研究が待たれます。

補足は論文には書かれていないことです。分かりやすくするために追加した文章になります。

この論文で分かったこと
・卵黄膜にあるたんぱく質によってNodal遺伝子の発現が誘導される。
・Nodal遺伝子の発現を誘導するシグナル分子として48種類の候補たんぱく質を発見した。
・候補たんぱく質のうちZPドメインとEGFリピートを持つ6種類が有力である。
・神経胚回転を起こす繊毛は、卵黄膜からのシグナルを受け取るために必要ではない。

[背景]

 体の外と内の両方に見られる典型的な左右非対称性はいろいろな生物にあります。胚発生のある時期に、重要なイベントによって左右は対称的ではなくなります。マウスやカエル、魚といった脊椎動物では、”左右オーガナイザー”にある運動繊毛を使うことで、左右対称性がくずれます。(補足:”左右オーガナイザー”は左右を決定する胚のある領域のこと。マウスではノード、魚ではクッペル胞。)マウスのノードにある繊毛は左向きの流れを起こし、最終的に側板中胚葉の左側だけでNodal遺伝子の発現を促します(漫画「右?左?」参照)。
 ホヤを含む尾索動物は系統学的に脊椎動物に最も近い生物です。ホヤの胚はオタマジャクシ型の幼生になります(漫画「マボヤ」「マボヤがふ化するまで」参照)。この幼生は、卵黄膜内の尾の曲がる方向と脳構造の形態に左右非対称性を持ちます(漫画「マボヤ幼生のNodal遺伝子と左右」参照)。マボヤの胚はNodal遺伝子とPitx2遺伝子を左側の表皮で神経胚期から尾芽胚期まで発現します。(補足:Nodal遺伝子とPitx2遺伝子はいろいろな生物で左右を決める働きをしていることが分かっている。)ホヤ胚には、脊椎動物の”左右オーガナイザー”に相当する部分はありません。代わりに、受精15時間後の神経胚期に前後軸に沿って胚が回転します(神経胚回転、漫画「Nodal遺伝子と卵黄膜」参照)。マボヤの神経胚は後ろから見たときに反時計回りに回転をします。この回転は、胚の左側が下向きになったときに止まります。そのため、胚の左側は、回転後に卵黄膜の内側と接触します。この回転は、表皮に生えている繊毛のゆっくりとした波のような動きによって起こることが分かっています。
 最終的に、マボヤでは左側の表皮と卵黄膜との接触は、神経胚回転の2時間後に左側の表皮でのNodal遺伝子の発現を促します。神経胚回転の前やちょうど終了したときに、卵黄膜を取り除いてしまうと、Nodal遺伝子は発現しません(漫画「Nodal遺伝子と卵黄膜」参照)。Nodal遺伝子の発現のためには、表皮と卵黄膜の接触が30分以上必要となります。外部からの力によって、右側の表皮に卵黄膜が押し付けられると、Nodal遺伝子は右側に発現し、形態的に左右が逆転します(漫画「Nodal遺伝子と卵黄膜」参照)。カバーガラスで、卵黄膜を左右からサンドイッチし、神経胚の両側が卵黄膜と接触するようにすると、Nodal遺伝子は両側の表皮で発現し、形態的に正常か逆転かがランダムに決まります(漫画「Nodal遺伝子と卵黄膜」参照)。背側と腹側の表皮はNodal遺伝子を発現する能力がありません。これらの観察から、神経胚の回転そのものではなく、側面の表皮と卵黄膜との接触がNodal遺伝子の発現には必要であると考えられます。卵黄膜の無い神経胚をカバーガラスでサンドイッチした場合は、Nodal遺伝子は発現しません。しかし、接触している場所の機械的な刺激か、卵黄膜からの化学的な刺激のどちらがNodal遺伝子の発現を誘導しているかは、まだ分かっていません。
 本研究では、卵黄膜の抽出液を使ってNodal遺伝子の発現を誘導できるかどうかを確かめました。また、表皮の繊毛が、卵黄膜からの刺激を受け取るために必要かどうかについても調べました。

[結果]

卵黄膜の抽出液(卵黄膜液)はNodal遺伝子の発現を促す
 未受精卵と神経胚を超音波処理した後にろ過することで卵黄膜を集めました。超音波処理によって、卵と胚は完全に壊れました。壊れた胚と付属細胞(ろ胞細胞とテスト細胞)を含んだろ過液は胚液として採っておきました。卵黄膜はすりつぶしてから超音波処理でバラバラにし、60,000個の卵から集めた卵黄膜約0.8 mLから1 mg/mLのたんぱく質を含む抽出液(卵黄膜液)を作りました(漫画「卵黄膜?卵・胚?」参照)。
 神経胚回転の前に卵黄膜を取り除いてしまうと、Nodal遺伝子は発現しませんので、卵黄膜を取り除いた神経胚に卵黄膜液をかけ、その後、通常Nodal遺伝子が発現している受精18時間後(初期尾芽胚期)に回収し、Nodal遺伝子の発現を調べました。胚液をかけた場合では、ほとんどの胚でNodal遺伝子は発現しませんでしたが、未受精卵の卵黄膜液をかけた場合では、右と左の両側でNodal遺伝子が発現しました(漫画「卵黄膜?卵・胚?」参照)。神経胚の卵黄膜液は少し弱い活性を持っていました。これは、受精後に卵黄膜は膨らみ固くなることで抽出が難しくなるため、同じ量の卵黄膜を集めても、神経胚の卵黄膜からの抽出液のたんぱく質濃度は低くなったためと考えられます。(補足:濃度測定は行っていない。未受精卵の卵黄膜から抽出した卵黄膜液は上記にあるように1 mg/mLであるが、神経胚の卵黄膜から抽出した卵黄膜はそれよりも濃度が低いということ。)未受精卵の卵黄膜液を3倍に希釈して使った場合、その活性は低下しましたので、たんぱく質濃度が低いために活性が低いという考えは支持されます。この結果は、卵黄膜からの化学的シグナルが表皮でのNodal遺伝子の発現を促し、このシグナル分子は未受精卵の時期にすでに卵黄膜にあることを明確に示しています。

シグナル分子はたんぱく質か糖か
 活性を持つ分子がたんぱく質かたんぱく質に付いている糖鎖かを区別するために、卵黄膜液に糖分解処理、またはたんぱく質分解処理を行いました。最初に、糖を分解して、たんぱく質に付いている糖鎖を取り除きました(漫画「糖鎖かたんぱく質か?」参照)。この卵黄膜液はまだ活性を持っていましたので、たんぱく質に付いている糖鎖はNodal遺伝子の発現には必要ではないと考えられます。一方で、たんぱく質分解処理は、明らかに活性の低下を引き起こしました。卵黄膜液の活性は、たんぱく質分解酵素を加えた後に大きく低下しました(漫画「糖鎖かたんぱく質か?」参照)。これらの結果は卵黄膜液のシグナル分子はたんぱく質である可能性が高いことを示しています。

ゲルろ過抽出液の一部がNodal遺伝子の発現活性を持つ
 卵黄膜のたんぱく質を大きさによって分けるために、ゲルろ過カラムクロマトグラフィーを行いました(図1)。ゲルろ過抽出液は一定量ずつ小分けにして順番に回収し、番号をつけました。(①~④、番号が小さいほどたんぱく質は大きい。)

画像1

 小分けにした抽出液を使って、Nodal遺伝子の発現活性を調べたところ、活性は②と③に見られました(漫画「Nodal遺伝子を出させるたんぱく質を探そう」参照)。胚液を使って同様のゲルろ過液カラムクロマトグラフィーを行いました。胚液で検出した主なたんぱく質は、卵黄膜液でも検出されたために、胚液の主なたんぱく質は卵黄膜液に混ざっていると考えられます。胚のかけらを完全に洗い落とせていないため、もしくは、最初の超音波処理で胚を壊している間に、胚のたんぱく質が卵黄膜にくっついてしまったためと考えられます。

候補たんぱく質を決定するための質量分析
 Nodal遺伝子の発現を誘導する可能性がある候補たんぱく質を決定するために、質量分析を行いました。(補足:質量分析は物質をイオン化し、その電荷や質量の違いによって物質を決定する分析方法。)ゲルろ過後の卵黄膜液②(活性有り)と④(活性無し)を分析しました。卵黄膜液に含まれている胚液のたんぱく質を分析結果から差し引くために、ゲルろ過後の胚液も分析しました。分析結果から卵黄膜液②だけに含まれる48種類のたんぱく質がNodal遺伝子の発現を誘導する可能性がある候補たんぱく質として残りました(漫画「Nodal遺伝子を出させるたんぱく質を探そう」参照)。

表皮繊毛は卵黄膜からのシグナルを受け取るために必要ではない
 繊毛はShh、PDGF(血小板由来成長因子)、Wnt、Deltaのようないくつかの誘導シグナルの受信に関係しています。ホヤ胚が卵黄膜からシグナルを受信する神経胚期には、表皮細胞に繊毛が生えています(漫画「毛は必要?」参照)。これらの繊毛の動きが神経胚回転を起こします。この繊毛がNodal遺伝子の発現を誘導するシグナルの受信に関係しているかどうかを調べました。
 まず、阻害剤により表皮細胞の繊毛形成を阻害し、Nodal遺伝子の発現を調べました。背側が上側になっている神経胚を選んで、表皮細胞に繊毛が形成される直前(神経胚期)に阻害剤を加えました。神経胚回転が起きた割合を調べたところ、神経胚回転は濃度依存的に阻害されていました(漫画「毛は必要?」参照)。
 阻害剤を加えた後に、86%の胚で左右両側の広い範囲にNodal遺伝子が発現しました。これらの胚は神経胚回転が起きないために、腹側を下にしていました。左右両側の表皮細胞は卵黄膜と接触し、結果としてNodal遺伝子が両側で発現しました(漫画「毛は必要?」参照)。何もしていない胚と対照群の胚のほとんどでは、Nodal遺伝子は左側で発現しました。そのため、表皮細胞の繊毛は卵黄膜からのシグナルの受信には必要では無いことが分かりました。

[考察]

 結果は、卵黄膜にあるたんぱく質による化学的な刺激が、卵黄膜が接触している表皮の左側でNodal遺伝子の発現を誘導すること、接触している場所での機械的な刺激は必要ではないことをはっきりと示しました(漫画「マボヤ幼生の左右の決まり方」参照)。表皮細胞の繊毛はシグナルの受信に必要ではありません。このシグナルに関係するたんぱく質はすでに未受精卵の卵黄膜にあります。しかし、シグナルを受信するための、またはNodal遺伝子を発現するための能力は神経胚回転後の神経胚になって見られるようになります。シグナルの受容体や細胞内へ伝達するたんぱく質の発現が神経胚で始まるためかもしれません。シグナル分子は、卵巣内で卵形成や卵成熟が起こる間に卵黄膜の一部になります。(補足:卵黄膜はこの時期に作られる。)
 ホヤの未受精卵は、卵黄膜の外側のろ胞細胞と卵黄膜の内側の囲卵腔(卵黄膜と卵の隙間)にあるテスト細胞によって囲まれています。本研究の結果はNodal遺伝子の発現を誘導する分子はすでに未受精卵の卵黄膜にあり、これらの細胞は必要ではないことを示しており、以前の結果とも一致します。初期の卵形成期に、ろ胞細胞とテスト細胞の前駆細胞は卵母細胞と接触しています。卵黄膜は、テスト細胞の外側であるろ胞細胞と卵母細胞の間で、これらの細胞を外側と内側に分けるように形成され始めます。卵黄膜をつくる物質は卵母細胞からも分泌されていると考えられていますが、Nodal遺伝子の発現を誘導するたんぱく質がどの細胞から分泌されて卵黄膜の一部になるのかはまだ分かりません。
 ホヤの種間でも左右軸を決定するメカニズムの違いは見られます。カタユウレイボヤで神経胚回転は見られますが、左側が下になっても回転は止まりませんでした。卵黄膜を取り除いた胚では、左右両側でNodal遺伝子は発現します。
 脊椎動物の胚では、Nodal遺伝子の発現は自己調節されていますが(補足:Nodalたんぱく質によってNodal遺伝子の発現が調節されている。)、ホヤの卵黄膜にあるシグナル分子はNodalたんぱく質ではありませんでした。マボヤ胚にNodal受容体の阻害剤を加えても、尾芽胚でのNodal遺伝子の発現に影響はありませんでした。カルシウム濃度の上昇がマウスのノードやゼブラフィッシュのクッペル胞の左側では観察されますが、マボヤの卵黄膜内の神経胚と卵黄膜液をかけた神経胚では、カルシウム濃度の変動は、全く観察されないか、神経による非常に散発的なものが観察されるだけでした。そのため、Nodal遺伝子の発現はカルシウム濃度によるシグナルとは関係がないように見えます。

よろしくお願いします。