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私の読書人生、思い出の本『そして誰もいなくなった』について語る
こんにちは、揚げトーラスです。今回は、ゆったり回です。
注意:読書感想文ではありません
この記事は、『そして誰もいなくなった』の感想文ではありません。
後日また、改めて読んでみて感想文を書くことがあるかも知れません。
今回は、『そして誰もいなくなった』の内容というよりも、私がこの本に出会った経緯とか、そういったことを書きたいと思います。
読書は好きじゃなかった
私は小学生の時から、読書が好きだった訳ではなく、むしろ苦手でした。
小学校5年生のときに図書室で借りた本は(1年で)たった2冊でした。
小学校高学年から中学生のとき、私を含む友人グループ内でライトノベルが流行りました。しかし、そのときも買うだけあまり読んでいませんでした。
とはいっても、小学生時代と比べるとだいぶ本を読むようになり、読書量は平均よりちょっと少ないくらいだったと思います。
中学時代
私の通っていた中学では、朝に読書をする時間が設けられていました。
「朝読書」になると、クラスメートは静かに読書をしていました。
中学3年生になると、私は仲の良かった友達とクラスが別れたこともあって、ライトノベルを読まなくなってしまいました。
ラノベから卒業後、(『文豪ストレイドッグス』などの影響で)私は夏目漱石の『吾輩は猫である』を読み始め、その量の多さと、よく分からない言葉使い・語彙に圧倒され、数ヶ月で挫折してしまいました。
その後、同じく夏目漱石の『坊っちゃん』を読みました。これは、比較的おもしろかったし、新しくできた友達も面白いと言ってくれました。
しかし、ワクワク感とか臨場感が欠けているように思ったのか、なにか物足りないと感じていました。
『そして誰もいなくなった』との出会いとその後
そして数ヶ月が経ち、修学旅行シーズン(たぶん秋)になりました。
(どういった経緯か忘れましたが)アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』に出会ったのです。
書店でなぜこの本を買ったのか、あまりよく覚えていませんが、『東方project』の登場キャラクター:フランドール・スカーレットが関連してるかもしれません。
あるいは、「なんか聞いたことあるし、名作なら読んでみるか」といった感じだったかも知れません。
『そして誰もいなくなった』は、私がミステリ小説の扉を開く(「半開き」状態だが)きっかけになりました。
この本は、修学旅行にも持ち込みましたし、隙あらば読んでいました。あまりに夢中に読んでいたせいか、友人から「それなんの本?」と聴かれもしました。
読み返しもしました。読むことが苦でないばかりか楽しいと感じたのは、このときが初めてかもしれなません。「もう一度記憶を無くして」読んでみたいと思った本でもありました。
『そして誰もいなくなった』は私の読書人生を語る上では、重要なポジションにあり、これがなければ読書が嫌いになっていたかもしれません。
ぜひ、皆さんも『そして誰もいなくなった』を読んでみてください。
いつか読書感想文の記事を投稿するかもしれません。完成し次第、したにリンクを貼ります。