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多久炭鉱㈱(佐賀県)の面影

佐賀県多久市                                  JR唐津線多久駅の近傍に、昭和期に開発発展した炭鉱の名は、多久多久炭鉱株式会社(社長 中島茂)である。昭和11年の会社設立から、多久駅近辺鉱区にて一坑から五坑の5か所で採炭していたと文献の記録にある。

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三坑、四坑のあった地区に建立された記念碑に「多久炭鉱之址」とある。この記念碑には閉山した年月が1967年1月とある以外、詳細な由来は記されていなかったが、かつての規模をうかがい知る貴重な記念物に違いはない。

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記念碑の付近には、多久炭鉱の遺構も確認することができる。付近の方にお話を伺ったところ、排気坑口の跡と教えていただいた。

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また、石炭を貯蔵するポケットの遺構も遺っていた。地権者のご厚意により見せていただいた。小ぶりながら鉄筋コンクリート造で重厚な印象を持つ。

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また、ポケットの直下には石炭輸送の引込線の跡と石炭の積込み施設の基礎がきれいに遺っていた。ここで石炭を貨物車に積み込んでいたようだ。

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引込線は国鉄(現JR九州)多久駅から伸びていた。多久駅は複数の炭鉱から出荷された石炭を集積する拠点であった。また、その多久駅の付近には多久炭鉱株式会社の繁栄をうかがわせる痕跡も見ることができる。

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多久駅前商店街の通り沿いに、重厚な塀と門扉のみが遺っている。敷地内は空き地であるが、多久炭鉱株式会社の社長、中島茂氏の邸宅跡である。

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敷地内部には、中島茂氏を記念する顕徳碑が遺されている。碑文も見受けられるが、敷地内にあるため確認は後日行いたいと考えている。それにしても広大な敷地に、かつては邸宅とその主が暮らしていたこと、そして多久炭鉱株式会社の大きさをしのぶ重要な遺構である。

多久炭鉱株式会社は、昭和11年から昭和42年の閉山まで、数次にわたり鉱業所を写し操業した。佐賀県における中堅炭鉱として、エネルギー転換政策による炭鉱の終焉まで、石炭供給を最後まで続けた企業であった。炭鉱は鉱区の譲渡や鉱業所買収が行われるので、その系譜は一筋にはいかないが、文献をもとに多久炭鉱株式会社のみの略歴を下記にまとめてみる。

〇多久炭鉱株式会社の略歴                               

昭和11年 中島茂 多久炭鉱株式会社 設立              昭和11年 一坑開坑(現ゴルフ場付近)                 昭和15年 二坑開坑(現ゴルフ場付近)                               昭和??年 三坑開坑(ポケット・積出施設・引込線跡 確認箇所)    昭和18年 四坑開坑(記念碑 排気坑口 確認箇所)          昭和23年 五坑開坑                         昭和36年 二坑 閉山                        昭和37年 四坑 閉山                         昭和42年 多久炭鉱 閉山 記念碑建立


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