新屋敷炭鉱(佐賀県)の面影
佐賀県唐津市相知(おうち)には、幾多の炭鉱が操業されていた。そのなかでとりわけ規模の大きかった炭鉱が、新屋敷炭鉱である。
鉱業所のあった箇所には、かつて新岩屋炭鉱の所在を示す記念碑と殉職者慰霊の碑が建立されていた。碑文には、昭和36年8月に閉山した新屋敷炭鉱で働いた労働者の労苦を記念して、と記してある。この荘厳な記念碑と慰霊碑は、多久市に建立されている明治立山炭鉱の鎮魂之碑と同様、労働者たちによって建立された事実に驚く。その大きさや手入れされた立派な植木を見て、従業員1000名を超えた大炭鉱にふさわしい、貴重な記念碑であった。
石碑の付近で、生い茂る藪の合間に不気味な暗闇を見つける。
中を覗くとセメントで巻かれた坑道が続いていた。半分土砂で埋められたようであるが、積年の風化でかつての坑道の様相が露わになっている。
岩屋地区の山中の鉱業所跡から麓に降りると、藪のかなに巨大なコンクリートの構造群を見ることができた。
石炭を貯蔵するポケットのようである。石炭を貯蔵・運搬する施設がひしめいていた。ここで出炭した原炭をより分けて出荷していたのだろう。
大きな容量を持つポケットから、新屋敷炭鉱の規模の大きさがうかがえる。しっかりと構築された鉄筋コンクリート製は、堂々と屹立した姿を今なお見せつけてくれる。
閉山して半世紀以上経過して、大規模炭鉱の面影に触れることに喜びを感じる。
ここで、新屋敷炭鉱が稼働していた昭和23年の航空写真を見る。整然と並ぶ長屋は新屋敷炭鉱の社宅であろう。4~5世帯入居できそうな長屋が100棟以上は立ち並ぶ、かつては大変にぎやかな街だったに違いない。
ここに、新屋敷炭鉱の略歴を記す。
大正 9年 唐津鉱業㈱ 新屋敷炭鉱を開坑
この間、古川鉱業 日東炭業が経営
昭和 7年 坑内ガス爆発発生。
昭和14年 日満鉱業㈱ 新屋敷炭鉱を開坑
昭和16年 坑内ガス爆発発生
昭和21年 坑内ガス爆発発生
昭和36年 新屋敷炭鉱 閉山
※石炭史 佐賀県石炭炭業資料 参照
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