住友赤平炭鉱 第一立坑(北海道)
各地の炭鉱跡を巡っていたなかで、はじめて北海道を訪れ巨大な遺構群の側に立った時の感動は今でも忘れられない。北海道赤平市、ここに保存状態の大変よい炭鉱施設が静かに佇んでいる。住友赤平炭鉱の立坑やぐらである。
見学会に同行させていただき、内部を見学して施設規模の大きさ広大さにさらに驚き奮い立った。立坑やぐらの直下には地底に続く地下施設への入口がそのまま遺っていた。
坑口に向かって幾条の軌道が伸び、トロッコが立坑を往復するケージから出たり入ったりする様子がしのばれる。
立坑は4階層のケージが地上と深部を往復し、効率出炭をめざし坑内員を続々と深部へ送り、代わって石炭を地上に送り出していた。立坑口の正面には黄色い柵で仕切られ、上部の梁に1から4まで番号が振られている。ケージが4列並んで昇降していたようだ。立坑は深部採炭を効率的にするために建設された。
立坑やぐら横の建屋には、巻上機もそのまま保存されている。最深部は500mを超えていたため、電動機や制動装置など機構それぞれが大変大きく圧倒される。
操作室がまた興味深い。巻上機専用の操作室は初めて見た。正面には電気系統の計器とケージのレベルを示すメータが据えられている。わきには手ブレーキの桿だろうか。色違いの古風な電話機にスピーカなど、保安関係の設備も往年のまま伺えて楽しい。
繰り込み所の跡も見学した。地底最深部に向かう坑内員が入坑する前に控えるところで、木製のベンチが並ぶこの場所で入坑前点検及び指示を受けた場所だ。そのまま残る繰込所の室内は炭鉱の臨場感にあふれていた。
かつては24時間体制で、工場は夜間でも照明が煌々とあたりを照らしていたらしい。立坑の完成は昭和38年で、これより採炭が困難であった500m以下の深部開発が行われた。住友赤平炭鉱の閉山は平成6年と平成まで及んでいた。各地で炭鉱が閉山に向かう中、この立坑がいかに更なる生産と効率化に寄与したかを物語っている。
住友赤平炭鉱 略歴
昭和13年 開発着手
昭和14年 第一坑開坑
昭和34年 第一立坑建設開始
昭和38年 第一立坑完成 深部(ー350m)
昭和45年 深部(ー500m)開発開始
昭和57年 第一立坑山手側ケージを深部(ー550m)まで延長
平成 6年 閉山
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