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小城炭鉱(佐賀県)の面影 

佐賀県多久市 
多久は江戸時代より、石炭産業が栄えたところ。当初は細々とした規模の小さい採炭から始まり、社会情勢の変化とその需要に応え、市内各炭鉱が規模が成長し、やがて三菱などの財閥の進出に至る。千人を超える従業員を持つまで隆盛したが、国のエネルギー転換政策により昭和40年代にすべての鉱業所は操業を停止した。

                           竪坑跡 2008.5来訪時

JR唐津線の東多久駅裏から、小城方面に伸びる市道を進むと、
丘陵に竪坑の跡が遺っている。石材で成形された竪坑の上部はセメントで厳重に封鎖されていた。
坑内の汚れた空気を排出する排気竪坑のようだ。

炭鉱住宅 2011.12来訪時

付近には、従業員が住んでいたであろう長屋、”炭鉱住宅”を見ることができた。

JR唐津線踏切 障害検知器 2008.5来訪時

JR唐津線沿線に、”小城炭坑裏”との名称がつけられた踏切があった。
ここでかつて、石炭を産出していたことを示す確かな根拠である。

記念碑 2008.5来訪時

同地区に小城炭鉱を記念する碑が建立されていた。以下その碑文。

 この碑は、昭和15年5月に開坑した小城炭砿の住宅街の跡で、最盛期は従業員2000余名を有し、月産3万トンの石炭を産出した炭鉱であった。
しかし、エネルギー革命の嵐の中にあって、昭和37年7月をもって閉山の止む無きに至った。
従業員は、職を求め全国に離散せしも、当時を忘れ難く天山会を組織し、その証として記念碑建立を決し、従業員有志の募金により平成2年坑口付近に建立した。しかし、そこでの維持が困難となり、再度有志の浄財で移設した。20有余年に亘り炭掘る仲間の思い出の地として、後世に末永く伝える証の日である。 
       平成8年7月建立 元小城炭砿従業員有志一同

炭鉱名:小城炭鉱
開 坑:昭和14年1月5日
会社名:山口鉱山㈱
所在地:多久市東多久町旭ヶ丘   
文 献:石炭史 佐賀県石炭産業資料 昭和61年刊行

山口鉱山㈱は、佐賀県内において従業員数1000人を超える中堅の炭鉱にまで発展する。昭和期に至るまで付近では古賀山炭鉱(明治期)、東多久炭鉱(大正期)が操業していた。

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