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立川炭鉱(佐賀県)の面影 その1
佐賀県伊万里市大川町立川、ここには大日鉱業㈱が採炭していた立川炭鉱の痕跡を見ることができる。立川炭鉱のあった場所を訪れると、立派な記念碑が建立されている。
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この立川炭鉱跡と揮毫された大理石の記念碑が面白いのは、かつての炭鉱施設の大まかな所在の情報が付け加えられていることである。本坑口、新坑口など、旧炭鉱跡地を探索するにあたって大変興味を惹く情報が大理石に詳しく刻まれている。
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この石碑の情報と、かつて操業していた頃の航空写真を比較してみた。年代は昭和22年のもの、立川炭鉱が開坑した昭和11年がら約10年が経過した写真である。大体の位置関係をもって、石碑の情報を写真に配置してみた。赤丸の記念碑が、石碑でいう現在地である。
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この石碑の情報によると、鉱業所があった土地は梨の果樹園と成り変わり、実際に付近を見渡すと、梨の樹木が整然と植えられていた。
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炭鉱の面影をうかがい知る遺構がないものかと、石碑の本坑口と刻まれている箇所付近に行ってみると、草木が茂る荒野の中に、古びた建造物を見つける。
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中を覗いてみると、高い天井に重量物を運搬するクレーンの跡などがうかがえる。床面には何かしらの装置を固定した基礎とアンカーボルトが遺っていた。最初、変電所の跡かと考えたがその跡にしては、壁面に電線管の跡などが乏しく何のための施設だか、釈然としなかった。
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建造物の反対側にある出入口に目をやると、何やらレンガ造りの構造物が隣接していることに気づく。
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そのレンガの構造物を見ると、丸い円の縁をした孔が開いていた。出入口なのか、一度レンガで塞いで再度開けたような痕跡が見える。
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レンガの構造物の中に入って確認してみると、丸い入口のような孔からすぐ、奇妙な形状をした壁が正面に構築され、通路が左右二手に分かれていた。床面には蛇腹のダクトホースが散乱していた。坑内作業で換気に使われたものだろう。
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奇妙な壁の反対側をみると、まるで船舶の先頭みたいに尖った構造をした壁が構築されていた。左右対称の
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建造物の奥を確認すると、天井が抜けた円筒状の壁面で囲まれた空間で行き止まっていた。
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この建造物の用途について、以上の構造から排気竪坑と推測できる。坑内の汚れた空気を排出するための施設で、竪坑の地上出口に扇風機を配したものである。先ほどの尖った形状の壁面は、空洞を二手に分けファンを2基設えて大量の排気を実現したものと、坑内爆発の際に坑口から吐き出る衝撃波からファンや電動機の破損を防ぐための構造によるものだろう。
近年唐津市相知町平山と伊万里市大川町立川を結ぶ県道37号線の新設道路工事が行われ、上記排気坑口の側に道路が開通した。残念ながら本坑口がその新設道路の通路とかぶり、近年坑道が掘り起こされまた跡形もなく整地されてしまったらしい。
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立川炭鉱は、昭和11年に大日鉱業㈱によって開坑され、昭和38年には第二坑を開坑したが、後年産出した石炭に硫黄分が多くなり、炭質の低下から取引不能になり昭和45年へいざんした。閉山時の従業員数は470名で、佐賀県内の炭鉱でその終焉期近くまで操業した息の長い中堅の炭鉱だったようだ。文献にも、機械化による効率向上で、石炭不況を乗り越えたとあった。
昭和11年 第一坑開坑 大日鉱業㈱
昭和38年 第ニ坑開坑 大日鉱業㈱
昭和45年 閉山