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坑業人 田代政平の碑(佐賀県)

佐賀県伊万里市大川町立川の、旧立川炭鉱付近に一基の石碑が建っていた。旧立川炭鉱の痕跡をめぐる探訪時には何となく気にはなった石碑で、明治期に佐賀の炭鉱開発に尽力した人物の石碑が建立されていた。
その人物の名は「田代政平」であった。

大溜池ほとりにある坑業人田代政平君の碑

この石碑は、立川炭鉱そばの大溜池ほとりに建立されていた。最初は各地によくあるような土地の名士を称えた顕彰碑か何かかと思っていたが、後日文献「石炭史・佐賀県石炭炭業資料文書・文献編」にその名士の名が紹介されていたことから、この人物が炭鉱開発に大きく寄与した人物だとあとで知った。文献の内容を以下にまとめる。

田代政平君について、明治期に活躍した坑業人である。明治期の炭鉱経営は地権者から採掘のための借区権を購入し、採炭に当たる業態であった。鉱区を借りたはいいが、経営が行き詰まり廃坑して借区権を手放す坑業人が続出する中、積極的に借区権を買い取り経営拡大を試みた。しかし、資金難により故郷立川村を去ることになる。しかし炭鉱開発の熱は冷めず、佐賀県の北波多にある矢代町炭鉱の下請けとして、石炭商の宮島伝兵衛に懇願し、矢代町炭鉱(唐津市北波多)の開発に着手した。その直後日清戦争による石炭需要の高まりより成功、下請けから矢代町炭鉱の借区権を購入するまでに成長した。のち売却するが、大正期には北多久山犬原炭坑を経営した。事業の成功により、一度は後にした生まれ故郷の立川村に公共施設建設にあたって私財を投じる慈善事業をはたした。

明治期から大正期にかけて活躍した坑業人は、一度は挫折したが再起をあきらめず成功した人物であった。その田代政平君を称える石碑は、今日では自然豊かな伊万里市大川町立川の大溜池を眺めている。

碑が見つめる大溜池の眺め


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