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東京から長野へ、UXデザイナーから山伏へ

今年で御嶽山の噴火から10年。当時東京に住んでいたぼくにとっては、恥ずかしながら、正直他人事だったと思う。

噴火から4年が経った頃、ぼくはなぜか何の縁もない長野に引っ越した。一言で言えば、東京の暮らしに疲れてしまったのが大きな理由だ。「東京じゃなければどこでもいい」とすら考えて、テキトーにインターネットを見ていたときに見つけたのがいまの家だ。御嶽山のことは1mmも頭になかった。だから長野に来ることに必然性はなかった。ただの偶然だ。それがたまたま2018年、御嶽山が噴火後初めて剣ヶ峰まで行けるようになった年だった。

ぼくが暮らす町には僅かながら御嶽信仰の気配が残る。その僅かな気配になぜか興味を持ったぼくは、近所に暮らす行者の家を突然訪問し、「教えてくれ」とお願いした。最初は単なる好奇心だったと思う。その行者は普段は普通のおばあさんだ。神事の関係でたまたま白衣の姿を見かけて御嶽の行者だとわかった。

それから引きずり込まれるように御嶽信仰の道へと入り、気がついたら行者になっていた。本山修験宗や奈良の聖地である大峰山ともご縁をいただき、さまざまな場所で修行するようになった。もちろん、ホームである御嶽山には毎年何度も登る。

御嶽山は活火山である。噴火の傷跡があちこちに残る。噴石は落ちているし、火山灰で埋まってしまった池もある。いまは直っているが、ぼくが初めて登ったときは頂上に向かう手すりも噴石の衝突で曲がっていた。シェルターが点在しているのも、頂上付近でケータイの電波が入るのも、噴火後に整備されたからだ。

頂上の慰霊碑は見るたびにいたたまれない気持ちになる。事故のことを想像して苦しくなる。他人事だと思っていた自分を恥じる。だから手を合わせる。

いつももてなしてくれる山小屋の方々や、登山道の整備をしてくださっている方々には頭が上がらない。登りやすいように、歩きやすいように丁寧に石や木やロープで整備されている。それがどれだけ大変なことかは、一目見ればわかる。歩く一歩一歩に感謝が溢れる。先日も女人堂の起さんたちがトラバースを整備してくださっている姿をたまたま見かけて、心から感謝した。

古くから信仰を守ってきた行者や信者、一般の登山客、あたたかく迎えてくれる山小屋の方々、道を整備してくれている人たち、麓で信仰しながら商売を営むみなさん、信仰登山を支える強力さん、ほかにもたくさん、御山に関わるすべての人たちのおかげで、御嶽山はある。ぼくの歩く一歩一歩にその人たちの心の歴史が宿る。

登った先に何があるのか、ではない。何のために登っているのか、ではない。御山に入らせていただくこと、登らせていただけること、それ自体に大きな感動がある。

ぼくが東京で忘れてしまっていたこと、そしてずっと探していたものは、意味や目的を超える、この、心が震えるような「感動」だったのだと思う。

ぼくは、御嶽山の鎮まりと共にこの地に呼んでいただいたのかもしれない。初めて御嶽山を見たときの感動はいまでも忘れられない。「来い」と言う御山の声が、いまも心の真ん中にドンと残っている。

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