大切なものがゆらぐ「いまの自分」を書いておく
大切なものが消えていく
大切なものはなんだろう?
おかね。あたたかいおうち。気分のアガる服。お気に入りのモノ。美味しいごはん。大好きなひと…。
わたしにとっては、それが「かかわり」だったということがここ最近わかってきたのである。
それは、大切なものが消えていっている感覚をもったからだ。
そう。コロナのせいで。
「優先順位」という便利な言葉
コロナウイルスの怖さは目に見えない。正しいことは誰もわからない。何人くらいが死ぬのか。どれくらいウイルスが生きていられるのか。致死率はどれくらいか…。
あれだけ言われていた「三密」だって、守ったからと言ってかからない保証なんてどこにもないんだ。
いろんなニュースや情報を見ていると、「優先」という言葉が目についた。
この「優先」という言葉はとても便利な言葉だと思う。
この言葉を使えば、他のものが見えなくなるからだ。
見えなくなったのか。いや、そうではない。
いま、「優先順位」が一番高いものは、「いのち」だ。それは、間違いない。誰が何と言おうとこれが一番だ。
でも、これを声高に叫べば叫ぶほど、他のものはすべて捨てられる。
主体的・対話的で深い学び。楽しい運動。友達との会話。何の気なしにふれること。休み時間の様々なこと…。
命が優先。でも、その中で失われるものはないのか。命と教育をなんとか両立できることはないのか…。
だから、オンライン授業の可能性…。なんて言えたらいいんだろうけど、そんなことは無理だ。組織の中にいる以上、とんがったことをして周りに迷惑をかけてしまったら、それは全くもって無駄なことになる。自分の担任している子どもが幸せになったとしても、それで不幸な子をたくさん作ってしまうかもしれない。
悶々とした日々。現在進行形だけれど。でも、ちょっぴりわかってきた。
優先順位をつけることがこわかったんだ。自分が見えている範囲がどんどんせばまっていくような気がしていたから。たくさんの情報が飛び交ういま。優先順位をつけようとすると、見える範囲は確かにせまくなる。
昔は、それで見えなくなっていったんだろう。思考が狭まっていくことにも気づかないで、暴走していたころもあったんだろう。
すこしだけでいい。はなれてみよう。
さっき、わたしは「優先順位が一番高いのはいのち」と言い切った。こう言い切れるのにも実は結構時間がかかった。
それは、コロナの脅威がどこか遠くに感じられたからかもしれない。でも、情報収集すればするほど、命の脅威を感じざるを得なかった。
生きていれば、なんとかなる。
いろんな映画、小説、記事で見かけた言葉だった。でも、本当にそうなんだろうなあと思えるようになった。
ちょっと、はなれられたみたいだなと感じている。
優先順位が怖くて、はっきりした優先順位をつけていなかったんだ。
第一位 いのち
第二位 かかわり
第三位 成長実感=人生肯定感
優先順位をつけてみる。言葉として自分の外に置いてみる。それをながめる。すると、いろんなもやもやが飛んでいくような気がしている。
書いて、外に置いて、ながめる。
そうすると、感情も、気持ちも、もやもやも外に置いてながめられる。
たぶん、それでいいんだと思う。