読書録「差別のない社会をつくるインクルーシブ教育 誰のことばにも同じだけ価値がある」
なぜ、この本をとったのか
地域の図書館の新書にこの本があった。2022年10月26日初版。この本が出たことをFacebookで知った時、買おうか迷った。その時お金の使い方に迷っていたからかな。
でも、教育者の端くれとして、「インクルーシブ教育」という言葉は、何度も聞いているし、重要なことだって分かっている。でも、なかなかこういう本を取っていなかった。
今回、取ろうとしたということは、自分が本当に「個を見る」ということに意識が向いてきたからかもしれない。
インクルーシブ教育に大切な教師のマインドセットは?
最近は、本を読むときに、問いを立ててから読むようにしている。これは、『紙一枚!」読書法 浅田すぐる著 SB Creatibe』にあった読書法を取り入れているからだ。
この問いを立てて本を読んでいくと、目に飛び込んでくる情報が、この問いにそって体に取り込まれるような感覚があった。
大きなキーワードは、「特権」「無自覚」「システムや社会に疑いをもつこと」だった。
自分のもつ「特権」に気付くこと
私は、小学校教員をしている。両目が裸眼で1.5。体も健康。衣食住で困ることはあまりない。職場に行けば、信頼できる同僚と仕事をし、担任している子どもたちと時には悩みながらも、楽しい日々を送っている。このような生活が、自分にとっての「当たり前」だ。しかし、これは、多くの人にとって「当たり前」ではない。
このように、自分にとっての当たり前が、他の人から見れば、「特権」であることに気付くべきだ。そんなことをこの本は教えてくれる。
「無自覚」を自覚すること
上記の「特権」しかり、自分の環境や言動に対して無自覚であることがとても多い。もし私が、後輩の男の子に「彼女いる?」と聞いたとする。もし、この後輩が、性的マイノリティーの当事者であれば、この質問はあまりにも配慮を欠いた言動になる。「彼女=男の子は女の子を好きになるべきだ」というステレオタイプがあるからだ。ここでは、「パートナーはいる?」と聞くべきだ。おそらく、自分の言動には、こうしたものがたくさんある。
こうしたことに、自覚的であること。言葉にするのは簡単だが、行うのはとても難しい。
その個が悪いのか。社会が悪いのか。
マイノリティの人たちは、マジョリティの価値観によって判断され、抑圧される。学校において集団で指導していると、どうしてもその指導に合わない子が出てくる。それは、その子(個)が悪いのだろうか。いやそうではない。社会が悪い場合があるのだ。
例えば、男女別名簿。もちろん、その方が効率のいい場合や必要不可欠な場合ががあるだろう。しかし、それはその場合のみに使えば良い。そもそもその効率の良さや必要な理由を吟味し直したら、使う必要のない場合だってあるだろう。
前述したように「無自覚」であることがいけない。疑わなければ。自分の判断は、本当にそれが正しいのか。時代に即しているのか。本当にその子(個)のためになっているのか。もしも、正しくないのならば、それは何を変えていくべきなのか。
変えられないのか。いや、変えようとしないだけだ。
学校は社会の縮図である。しかし、社会の現状を学校が現すのではない。今の社会を過去の学校が作り上げてきたのだ。
自分の学級から、そして学校から変えていくことはできるはずだ。
今、「働き方改革」という名のもとに、時間削減が求められている。しかし、その時間とともに、「やりがい」も失っていないか。
学校に勤めているということは、今の子どもたちへの教育を通して、未来の社会を変えられるチャンスがあるということだ。
いろいろな言葉に踊らされず、未来に必要な教育を日々考え、子どもたちとの交流から悩みながら少しずつ変革していく。
そうした気概を持ち続けていきたい。
そんな志をもたせてくれる、そうした素晴らしい本だった。