憧れという原動力
娘はお勉強が好きではない。ように見える。
私は働いていることもあって平日にじっくりと肩を並べて勉強に付き合ってあげることができない。
だから、「わかんなーい」に対して「もうちょっと考えなさい!」だなんて言って時間稼ぎをしながら、フライパンを振ったり洗濯物を干したりしている。
「もともと勉強が好き」な子であれば勝手にやるはずだ。
娘はそのタイプではないので、机に座らせるのだけでも一苦労。
最終的には娘は観念するのだけど、忙しくて余裕をなくしている私は「こんな風に勉強させられても楽しいわけないよね…」と思いながらも、その打開策を捻り出す余裕もない。
台所で「わかんなーい」をかわしながらふと思ったこと。
もしも娘に憧れの女性がいたとしたらどうだろうか?
例えば同じ学校の高学年のお姉さん。
髪の毛サラサラで優しくてかわいくて勉強のできる優しいお姉さん。
そのお姉さんが例えば娘に優しく勉強を教えてくれたとする。
単純な娘はきっと「お姉さん素敵っ!」となりその日を境に「勉強すること=憧れのお姉さんに近付くこと」になるはずなのだ。
憧れって強力な原動力なはずだ。
若者が憧れの誰かの持ち物や服装や髪型や行動を真似たりするという文化は永久不滅な気がする。
憧れの誰かが煙草をくわえる姿が格好良いと思えば、誰に強制されなくても煙草を吸いたいと思うだろうし、憧れの誰かが朝ごはんにスムージーを飲んでいたならばきっと1回は朝にミキサーを回すと思うのだ。
そしてもう少し大人になると、生き方や思想を真似るようになるのだ。
今、娘の生活には憧れの要素が1滴もない。
子ども達がこれからたくさん素敵な憧れの人に出会えますようにと流れ星にお祈りしたいと思います。
(流れ星見る暇ないけど。)