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続・いつの時代にもある虐め


中学時代に
経験した
壮絶な虐め体験について
続きを書きたいと思います



リーダー格の O が
私をターゲットに
し続けた理由は
自分のストレスのはけ口に
するには
一番効果的だったのもあるのかも
しれませんが
自分より成績のいい優等生な私を
叩きのめしたいというのも
あったのだと思います

朝起きても
学校に行くのが嫌で
遅くまで布団に入っていたけれど
母親が厳しくて
学校をサボることはできませんでした


母親は
(知っていたのに
知らないことにするために)

学校から帰ったら
学校の話をしていた
私が何も言わなくなることには
気付いていたにも関わらず


私が、学校であったことを
何も、母親に話さなくなったから
心配だと、私の知らないところで
父親に言っていて

父親から

どうして、お母さんに
何も学校での出来事を
話さないんだ?
心配してるぞ

というようなことを
言われました

でも、
下手に男子に虐めれていることを
話したら
母親はクラスの男子のお母さん方と
交流があったので
そのお母さん方から
先生を通して
男子に指導が入って
私をもっと酷く虐めるのではないか
と予想したので
私は、ますます口を閉ざすことを選択しました



その頃、いじめ番組などを
居間のテレビで
見ることで
家族にSOSを発信していたのですが

触らぬ神に祟りなし

みたいな感じになっていて
私自身からは
やはり
虐められていることは
言えませんでした

今の家族に対して
この頃から私は
心を閉ざしていたのでしょう


クラスの女子にも
助けを求められず
担任は、ほぼ役に立たず
他のクラスの先生は勿論
教育実習に来ていた
従姉にも言えるはずなく
私は八方塞がりでした

唯一の希望の中2から中3に上がる際の
クラス替えも叶わずだったので

私は
生きていくことに
対する希望を失っていました

いま思うと……
その当時の自分の精神状態が
かなり怖いなと思います

生きたい

という想いと
逆のことを
思っていましたから……


当時の担任は
理科の先生だったのですが
遠回しに
私の自殺願望を
阻止するようなことを
授業で言っていたことを
今でもよく覚えています


どうしても
苦しくて
死ぬはずが
ないことは
分かっているものの

手首を
ハサミを使って
切ってみよう

と思いました

ハサミだったので
どれだけ力を入れても
切れるはずがなくて
それでも

組織液を見てみたい


死を覚悟しきれていない
私は組織液に
拘りました

ハサミが
肌に食い込み
透明な液体が
少し出ました

そして

簡単に命を
失うことは
出来ないんだ


ということを
身を持って知りました


血が出ていない時点で
自殺未遂と言えるのか
どうかも微妙ですが

リスカといえるのかも
曖昧です

なんとか
地獄の中学時代は
卒業できて
高校生になりましたが

男子に虐められていたので
男性恐怖症になりました

男性恐怖症になっていた
私は
共学の公立高校に
通っていたのに
好きな男子も特に出来ずにいたので
彼氏が出来るはずもなく

当時の英語の先生に
恋心的なものを抱きはしましたが
それほどでもなく……

そんなわけで
私が異性に対し
恋愛感情を
抱くのは
随分先になっていたように
思います

虐めというものが
原因で男性恐怖症になり
彼氏も出来なかった
思春期を思うと
とても悲しくなります


私の虐め体験が
いま、職場や学校等で
虐められている人の
参考等になれば
いいなと思って
書き起こしてみました


かなり
長くなって
すみません

誰かの役に立てたなら
幸いです


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