「教え育てる」より、「共に学ぼう」で人は育つ
半人前教育者の戯言
私は訪問看護ステーションで教育担当をしていて、かれこれ5年以上新卒訪問看護師や新任訪問看護師の教育を行ってきました。
私はまだ、自分が教育者になるには半人前すぎると理解しつつ、立場上その役割から逃れるわけにはいかないので、様々な知見を参考に自分が納得できるものを取り入れて役割を遂行してきました。
ここでは、私が半人前教育者として感じている事、学んできたことをまとめていきたいと思います。
教育に対する違和感
教育は「教え育てる」と書きますが、成人教育において、この上から目線のように感じるスタンスでは上手くいかないのではないかと違和感を覚えます。
私は以前、先輩から「私があなたを一人前に育てるから。」と言われた事があり、その時の率直な感想は「気持ちはありがたいけれども、教わる人は自分で選ぶし、恩着せがましい。」でした。
随分と生意気な新人だったと我ながら反省していますが、私のような感覚を持っている人は意外にいるのではないでしょうか。
先輩と後輩の関係はあっても、大人対大人の関係です。「私が育ててあげる。」は、相手を子ども扱いしている印象を受けます。
正直、少々、失礼ではないかとも思います。
そして、自分視点で一方的に教えを与えるような方法は、成人教育(アンドラゴジー)の理論に沿っていません。
成人教育は、以下がポイントとして挙げられています。
そのため、一方的に教えを与えるスタンスではなく、学びの機会を見逃さず、学びの意欲を阻害せず湧き立つように支援して、学びの資源を十分に提供するような環境づくりが教育者のやるべきことではないかと思うのです。
私は、それを今まで大切にしてきました。
研修を整えるだけでは、成長しない
教育体制について語られる時、どのような研修を行うのがいいか議論される事がよくあります。
私も研修は重要だと思っていますが、一般的な講義形式の研修によってもたらされる学びは限定的と思っています。
講義形式の研修でもたらされる効果は、受講者の「学べた」という満足感と教育受けてる感によってモチベーションを高められるという効果と、知識を「知らない段階」から「知っている段階」に持っていく効果くらいでしょうか。
講義で学んだ知識は使わなければ血肉にはなりませんし、自分の言葉で整理し直さなければ、理解も進みません。もちろん、それでは成長にもつながりません。
講義は知識の地図を広げるだけで、成長の土壌を耕しているに過ぎません。
また、アクティブラーニング形式の研修は知識を活用する機会を作れるものの、研修の数も時間も限られるため学びも限定的に留まりがちです。
では、人が仕事で成長していくためには、どのような取り組みが必要なのでしょうか。
私は以下の3つの環境が重要なのではないかと感じています。
日々の実践で悩んだ時にタイムリーに相談して解決できる支援体制がある。
定期的なカンファレンスを通して様々な視点を身につけていくことができる。
見本になるような実践をしている人が身近にいて、参考にすることができる。
例えば、私が働いている訪問看護ステーションでは、チーム制ですぐに相談できる体制があって、カンファレンスも頻繁に行われ、スタッフの連携や看護展開は社内のクローズドSNSで社内のスタッフなら誰でも閲覧できるようになっています。
このような環境が研修以上に学びの量と質を高めてくれているように思います。
教育者自らが積極的に学んでいるか
「学ぼう!」「成長しよう!」と促している教育者自身が全く学習していなければ、説得力がありません。
行動が伴っていなければ「この人は口だけだ」と思われてしまい、教育者として聞く耳を持ってもらえなくなります。
なので、教育者自身が一番の学習者として学ぶ姿勢を見せ続けないといけません。
昔からある言葉ですが、結局は山本五十六のこの言葉に教育の大切なところは集約されていると思います。
また、私は吉田松陰の「教えることはできないが、一緒に学びましょう」というスタンスが好きで、このスタンスで日々スタッフと向き合っています。
「教え育てる」より、「共に学ぼう」が半人前教育者の私には性に合うようです。
未熟な教育観だと感じる方もいるかもしれませんが、半人前の戯言と思って、聞き流してください。
もし、私の考えに共感してくれた方がいたら、一緒に働きましょう。
ケアプロ訪問看護ステーション↓
https://recruit.carepro-hmc.co.jp/
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