ふみ

天才吟遊詩人、天才プログラマー、天才音楽家、天才ブロガー、その他諸々。

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最近の記事

メロディーと伴奏

音楽の話題。 皆さんは、音楽をどのように聞いているだろうか? 大半の人は、メロディーだけを聞いているのだが、 少し詳しい人になると、伴奏まで聞こえていたりする。 実はメロディーは主役だが、伴奏あってのメロディーなのだ。 例えてみれば、イチゴのショートケーキのようなものである。 一番上のイチゴが主役と言っていいだろう。 しかしそれには、スポンジケーキや、クリームや、間に入っているイチゴなど、様々なもので成り立っている。 音楽も、伴奏がなければメロディが活きてこないのだ。

    • 運を味方につけ、楽しく生きる

      最終的には、人生がうまくいくコツは 運がいいかそうでないか、だと言えるかもしれない。 運をよくする方法は、たくさん見つかると思う。 それに加えて、運を悪くしない方法も意識していくと良いだろう。 あとは、自分は運がいいに決まっている、と信じてやまないことだ。 夏休みは楽しいに決まっている。 子供のころはそう思ったはずだ。 あなたの人生も、楽しいに決まっている。

      • 文句を言いたい時こそ、世界を変えろ

        生きていると、嫌なこと、辛い事、世間に対して、世界に対して言いたいこともある。 文句を言いたくなることもあると思う。 しかし、それに耐えるかどうかで、運気が変わってくるだろう。 世界はあなた自身が作っているのだ。 もう一度言う、世界を作っているのはあなた自身だ。 文句が出るということは、あなたの世界の作り方に問題があるのだ。 あなたが、世界を変えるんだ。 辛い、苦しい、悲しい、居なくなりたい。 そんな世界を作るのはやめればいい。そんなのやーめた、と言えばいいのだ。 ま

        • 真実

          本当のことは、いつも隠されている。 あまり人前で言ってはいけないことは、本当は大切なこと。 私は嘘をつきません、という言葉は嘘っぽい。 私は嘘つきだ、と言っている人の方が信用できそうな気もする。 本当のことを知りたいと思えば思うほど、泥濘に足を囚われ 身動きが出来ない。 あと一歩、進んだ先にそれを見つけることが出来たであろう人も、 夢半ばで倒れてきた。 真実を手に入れたいものだ。 いや、真実はいつも目の前にあるが、あまりに余計なものが纏わりついて見えなくなっているのだ

          痛ましい事件を前に

          痛ましい事件が起こった。 日本の歴史上でも、稀にみる事件となるだろう。 たくさんの思惑が渦巻く中、本当に大切なことは何だろう? 私利私欲のために、人は動くのだろうか? 自分も相手も世界も、良くなる方法を模索し続けるのが 平和への道筋なのだと思う。

          痛ましい事件を前に

          忍者のように、体を自由に動かす

          自分自身の体を、楽に動かすことが出来るだろうか? 案外にも、自分自身の体は思うように動かないものだ。 楽器の演奏をしたことがある人ならば、その感覚は分かると思うし、 まだ字がうまく書けなかった頃のことを思い出してもいいかもしれない。 自由に体が動くということは、楽器演奏で言えば思い通りの音が出るということだし、スポーツ選手ならば結果につながることだろう。 西洋式の体の使い方で、日本人古来の動きは忘れられてきている。 しかし、武術の達人などは年を重ねるほどに動きが洗練され

          忍者のように、体を自由に動かす

          助けてもらうことは、恥ずかしい事ではない

          本日、自転車で家に帰る途中に、足を怪我して杖を突いている方がいた。 その女性が、私の目の前で転んでしまったのだ。 向かいから来た自転車の女性、近くにいた男性、私の3人で彼女を介抱していた。 すると、偶然近くのコンビニで休憩をしていたタクシーの運転手も駆け寄ってきた。 「お近くでしたら、タクシーに乗せていきますよ」と。 タクシー会社の名札をしていなかったら、中々車にも乗りづらい所だっただろう。 私を含む3人はそこでそれぞれの方向へ帰った。 彼女を抱きかかえる際、何度も

          助けてもらうことは、恥ずかしい事ではない

          コントロールされていると、不幸を感じる

          あなたは、自分自身の人生をどれくらい、コントロール出来ているだろうか? 自分自身でコントロールできている、もしくはそうできると信じている人は、人生の幸福度が高いらしい。 会社員だったり、子育てだったりと、大きく見るとコントロールできない状況にあるかもしれない。 しかし、そんな中でも、この部分は自分で時間をコントロールできる、 ここの進め方は、自分なりにできるというものを探してみるのはいかがだろうか? 単に仕事がイヤ、というのは簡単である。 実は、自分自身でコントロールで

          コントロールされていると、不幸を感じる

          向き合えなくなったときに、自滅してしまう

          自分の人生を生きるには、どうしたらいいだろうか? 病気がある、仕事がうまくいかない、お金も足りない、人間関係もなんだかしっくりこない。 そうだ、あの時にああしていたらもっとよかったのかもしれない。 未来は、なんだかあまり楽しくなさそうだ。 今、自分自身に向きエア無くなってしまったときに、自滅してしまう。 つまり、自分自身の人生を生きることが出来なくなってしまう。 病気だろうが、仕事がなかろうが、お金がなかろうが、それがどうした。 それが自分の人生なのだ。 今、それを、その

          向き合えなくなったときに、自滅してしまう

          失うことへの恐怖心

          人間は、何かを失うことに対して、とても恐怖を覚えるものだ。 大事にしていたものがなくなること、時間、お金、人と会えなくなること。 どれだけ技術や科学が進歩しようとも、この感情はなかなか克服できないのではないかと思う。 「失うものがない者は、強い」という言葉がある。 普通の人は失うことが怖いので、中々大胆な行動が出来なかったりするのだ。 その点では、何も持っていない人は自由で、ある意味一番恐ろしい存在かも知れない。 恐れ知らずになれば、成功へ一歩近づくことが出来ているとい

          失うことへの恐怖心

          溺れない策士たれ

          人類はあらゆる問題に対して、策を講じてきた。 しかし、策士策に溺れるという言葉があるように、 あたまでっかちでも、良い結果になることはない。 ある程度の策は必要だが、時の運、出たとこ勝負も必要だろう。 運も実力のうち、という策と言えるだろうか。 そのためには、歴史を学ぶのが一番良いだろう。 生きるか死ぬかで戦ってきた、戦国の世の策は、 現代でも役立つことがあり、ビジネス書にも引用されていたりする。 それをきっかけに、策士になるのも悪くないと思う。

          溺れない策士たれ

          当たらなくてもよいが、外さない生き方

          何か大きなことをしなければ、生きている意味などない。 そう考える人も、一定数いるだろう。 しかし、大きなことをやるには結構なエネルギーや才覚が必要だったりする。自分自身がそういう人間だと思いたい気持ちもわからないわけではない。 しかし、当たる人生でなくとも、外さない人生もなかなか悪くないのではないだろうか? ある面、諦めの生き方かもしれないが、そんな中で幸せを見つけていくものかもしれない。 野心を持つことを否定するわけではない。 野心を持たされて、絶望している人がいる

          当たらなくてもよいが、外さない生き方

          夏越の大祓

          1年の半分が過ぎた。 毎年、年末には大祓として、その年の罪、咎、汚れなどを お祓いすることによって、新たな年を清らかな気持ちで開始するという 文化が日本にはある。大みそかや新年に神社に行く人も多いことだろう。 本日、6月30日に神社に行く人は、少ないかもしれない。 夏越の大祓、つまり1年に1度の年末だけではなく、 その半分で罪や穢れをお祓いしましょう、というものだ。 ある面では、人間は一瞬一瞬で罪や汚れを作ってしまう。 それが積もり積もるとまさに罪である。 お祓いなどとい

          夏越の大祓

          物事を螺旋で捉える

          螺旋階段を想像してみてほしい。 上から見ると、同じ場所をくるくると回っているようだが、 横から見ると、昇っていることがわかる。 時代の流れも、実は螺旋的なものだ。 一昔前に流行ったものが、最近復活しているということはよくある。 何も変わっていないようだが、当時よりも進化したものになっている。 時代は繰り返される、とよく言われる。 何か、新しい事を始めたい、事業を起こしたい。 そう思う人もいるだろう。 その人がうまくいくかどうかは、それが過去にあったことの螺旋状の上にあるか

          物事を螺旋で捉える

          とりあえず手を動かす、は案外理にかなっている

          何にもやる気が出ない、ということがあるかもしれない。 そういった様子を、何にも手が付かない、などと言ったりする。 これは非常に示唆的な言葉ではないだろうか? 手が付けられない悪童だ、などと言ったりもする。 つまり、逆を言うと手が付けられさえすれば、何とかなるのだ。 着手、という言葉も同じだ。 とにかく手を付けてみる。 これは実際の行動として手を動かしてみるということも含まれるだろう。 頭でっかちで、手が止まっていないだろうか? もちろん、思考することは悪い事ではない。

          とりあえず手を動かす、は案外理にかなっている

          今日もあなたは導かれ

          自分の人生は、自分で切り拓く。 そう思っている人は多いかもしれない。 今の自分があるのは、昔の自分が努力をしたからだ。 今の状態が不幸な人は、努力をしなかったからだ。 ある面ではそれは正しいかもしれない。 しかし、真の意味ではどうだろう? あなたは、自分で物事を判断し、決定し、人生を選択しているように感じている。 しかし、それは全く違う。 何者かによって、あなたは今日も導かれた。 右と左に道が分かれており、そのどちらかを選ぶことになったとして、 必ずあなたは何者かに導

          今日もあなたは導かれ