見出し画像

Fujii Kaze Stadium Liveに感じた溢れんばかりの「生」について

 2024/8/24・25に行われた Fujii Kaze Stadium Live “Feelin' Good”  そこに感じた「生」についてのあれこれを思い出すままに綴っておきたい。


 “Live”は生演奏、生放送、生(なま)の、生きる、暮らす、生活する、生き延びる、(音が)反響する…などの意味がある。


 まず、Live といえば、「生演奏」。以前、TAIKING さんがギター始まりにしてほしいとお願いされた曲が多かったとお話されていたが、特に “damn” のイントロが大好き。小林修己さんのベース姿好き。特に『風よ』と『旅路』。そのロック『旅路』の佐治宣英さんのドラムは何度聴いてもテンション爆上がり。『まつり』のイントロはパーカッションの福岡たかしさんが奏でる摺鉦(すりがね…当たり鉦とかチャンチキとかいうらしい)が勝手に脳内再生されるほどの中毒性あり。ボーカルの Emoh Les さんと ARIWA さんも好きなところもいっぱいあるけど、『ガーデン』後半のかけあいが心地いい。


 観客席までもが舞台になったかのような『満ちてゆく』は、自発的にスマホライトを点灯してできた満天の星空とスクリーンの流れ星とが奇跡の融合。「生(なま)」の舞台が魅せた一期一会の景色。

 風くん、バンメンさん、ダンサーさん、セット、照明、スクリーン、観客…トータルで最高に好きなのは『青春病』。セットやマイクスタンドを効果的に使ったパフォーマンスからの野ざらしダンスがエモさ最高潮。ミュージカルのような青春の1ページを共有してもらってるような演出が胸に刺さりまくる。MVは昼間だったけど、スクリーンを彩る星空の下での野ざらしダンスは青春真っ只中を過ぎた私たちには遠い青春時代を振り返っているようで感慨深い。最後に一人残る風くんの姿に、青春の儚さ、もうすぐ終わりを迎える Live を感じてキュッとなる。


 それらを「生配信」してくれた。さまざまな事情で来られなかった人たちにも「生」で届けたいという強い思いが画面越しにも伝わる。観客席のどこからも見ることができない映像も配信の特権。綿密な打ち合わせによるカメラワークやスクリーンとダンスとの協働も見事だし、もうとんでもない仕事量と段取りの多さ。何度見ても気づけないことがたくさんあると思うから、ダッチ監督がラジオで語り尽くしてくれるのもありがたい。何週に渡ってもいいので存分に語り尽くしていただきたい。


 追記 もう一つ大切なことを。規制退場中のラジオが楽しかった。舞台上のガレージから生放送で舞台裏のあれこれを聞かせてもらえて、待ち時間もあっという間に感じられた。私はスタンド席だったので、アリーナ席から退場するみんなにブンブン手を振った。ハートスタッフさんにも「ありがとうございます」と伝えることができた。


 そして、Live といえば「生きる」。『ロンリーラプソディ』で「みんな一緒に息しよう」が、「生き(し)よう」とも言ってるように聞こえた。息をすることは生きること。最後のMCでも「生きていればなんとかなります」と話してくれた。こうして書いている間も息をして生きている。しかもバックグラウンド再生可能だから今も配信を見て思い出しながら書けるのが嬉しい。


 風くん、バンメンさん、ダンサーさん、スタッフさんにとってはこうして Live をすることは生きる(生活する)ことでもある。私たちはそれを見せてもらうことで感動や元気や癒やしをもらって生きている。こんなにも好きになれる人に出会えるなんて思ってなかった。同じ時代を生きられる奇跡。それぞれが自分の役割を果たしながら、たまに同じ時間を共有できることを心の支えに、健康に気をつけたり、時間とお金をやりくりしたりすることも幸せ。


 ちょうど今、ナ・テジュ著、黒河星子訳の『花を見るように君を見る』という詩集を読んでいるが、あぁまさにこういう心境だなと感じる言葉があちこちにある。一つだけ紹介したい。


 生きていく理由

  
  きみを想えば はっと
  眠りから覚める
  力が湧いてくる

  きみを想えば この世を生きる
  勇気が湧いて
  空がもっと青く見える

  きみの顔を思い浮かべると
  ぼくの胸は温かくなり
  きみの声を思い出すと
  ぼくの胸は楽しくなる

  そう、目をぎゅっと閉じて
  神様に一度だけ罪をつくろう!
  それがこの春に また生きていく理由


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?