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『まつり』から『花』へと続く物語
2月が終わるまでに記事を一つ書きませんかというnoteさんからのお誘いもあり、何を書こうかと考えていたら今日ふと気になった歌が。
願わくは花の下にて春死なむ その如月(きさら
ぎ)の望月(もちづき)のころ
これは西行が、亡くなる10年ほど前に詠んだ歌だ。意味は「願うことなら桜の花が咲く春に死にたいものだ(お釈迦様が入滅したという)二月の満月の頃(陰暦2月15日ごろ)に」という感じで、その願い通り、西行は2月16日に亡くなった。
お釈迦様といえば、『まつり』の歌詞に出てくる「花祭り」。これはお釈迦様の誕生をお祝いし、子どもたちの健康を祈る仏教行事で、日本や中国など大乗仏教(利他を行い多くの人を救うための教え)では4月8日に行うが、スリランカやインドなど上座部仏教(修行を行い悟りを得るための教え)では2月15日に行うそうだ。2月15日は中国や日本では涅槃の日(お釈迦様が亡くなった日)だ。亡くなった日にお祭りをするというのも不思議な気がするが、「涅槃」は、サンスクリット語で「ニルヴァーナ(吹き消すという意味)」と言い、生命の火が吹き消されたということから入滅、死去を意味し、「すべての煩悩の火が吹き消された状態。輪廻から解放された状態。完全なる自由。究極の幸せ。安らぎ、悟りの境地。」を表すそうだ。悟りの境地に達したお祝いという意味になるのだろう。
『まつり』MVは、MESS監督によるとお城の城主になった藤井風の一日を表現されたとのことで、最後のシーンが涅槃像のようだと話題になっていた。一日でもあり、一生でもあるのかなと思う。
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お釈迦様の一生というのをググっていたら、「沙羅双樹」という言葉が目に入った。これはお釈迦が亡くなる直前、臥床の四方にあった二本ずつの沙羅の木のこと。釈迦の入滅を悲しんで、二本のうち一本ずつが枯れたとも言われている。二本の木といえば…。
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『まつり』の最後で入滅した主のその後が『花』で描かれたのかな。監督が同じMESSさんなのも意味がありそう。
「生まれゆくもの死にゆくもの 全ては同時の出来事」は「枯れていく今この瞬間も咲いている 全ては溶けていく」に通じる。生きとし生けるものは生まれた瞬間から死にゆく(死に近づく)から、生まれるということと死ぬということは繋がっている。
『まつり』のMVで一生を終えた主は『花』のMVで花に囲まれ幸せそうだ。最後はダンスで完全なる自由、究極の幸せを表現し、散っていく。亡くなった人たちは土に還り、また新たな生命を生み出す。そして再び『まつり』のMVを観る。水面(みなも)。まるで生命の始まりのようだ。
ということで、『まつり』と『花』のMVを交互に観るという楽しみ方を推奨します。