8割教

今日から新しい宗教を始めます。

その名は8割教。
御本尊とかはありません。
教義はざっくり

「大体8割で生きる。」

腹八分目とか良く言いますが、日常生活の色々なことを8割くらいでやろうということです。

先日、長男が夕食にミートソースを作ってくれました。ほぼ美味しくできてたのですが、若干塩味がきつかったです。それを気にして息子がしきりに謝るので、8割以上は上手にできてて成功なんだから、気にするなと言いました。

それで思ったのです。何も料理に限ったことじゃない。大抵のことは8割くらいで良しとしたら楽なんじゃないかって。

そんな低い志でどうする!と叱られるかもしれませんが、日常生活なんてそれくらい大雑把でも全然問題ないと思います。それに、価値観なんて人によって違います。細かいことを気にするのはそんなに意味がないのではないでしょうか。

8割教にはもう一つ教えがあります。それは、

「世の中の8割方は普通に善良な人々だ」

というものです。

いやいや、世の中悪人だらけ、と異を唱える人もいるでしょうが、実際私の身の回りの人たちは、普通に善人ばかりです。前に勤めていたブラック企業ですら、変だったのは社長と周辺の数人だけで、残りは全部優しい人たちでした。息子の友達も普通の良い子ばかりです。

多分、私は普通より鈍感なのかもしれません。

前につとめていた会社で、同じ部の若い女性社員に軽い作業を頼まれて張り切ってやっていました。ところが作業中にトイレに行くとその女性社員がのんびりネールを塗っているのです。おいおい、人に作業を頼んで自分はネールかよ、と、ちょっとムッとしました。

後で仲良かった同僚にそのことを話すと、その若い女性社員はちょっと狡猾なところがあって有名だということでした。普通に明るくて人当たりの良い子じゃないかと思ってた私はもうビックリ。人を見る目がない自分を情けなく思ったものです。

でも、最近はそういう鈍感な自分が好きです。知人の知人は、行く先々で信じられないくらい嫌な人と会ってしまい、悩みが尽きないそうです。それと比べたら、まわりが良い人ばかりだと思える自分は幸せです。

勿論、いくら鈍感でも、自分の身に危険を及ぼすことは分かります。簡単に暴力を振るうとか暴言を吐くとか、責任の負えないような仕事をさせるとか、大金をだましとろうとするとか。だから、私の言う悪人はそういう人たちで、それ以外は善良な人たちです。

そして至った結論が「8割は善良」です。本当はもっと多いと思います。ラッシュアワーの満員電車が静かに穏やかに毎日に走っているのがその証拠です。

でも、何だか最近世の中がギスギスして病んでるような感覚に襲われます。
多分、ニュース報道が暗いものばかりだからだと思います。先日も中央省庁の職員が宴会したとかで荒れまくっていました。

先日、公立中学で教員をする姉と屋外を散歩していたとき、姉もこの件について怒ってました。私は姉を慰めたくて、「でも役所の人も8割以上は良い人だよね、私は公務員の味方だよ」と告げました。

しかし、姉の意見は違いました。同じ公務員として自覚がないのが許せないと。そして公務員の場合、他の公務員が問題行動を起こすと、組織の管理がとても厳しくなって、普通に真面目に働いていた人まで働きづらくなるのだそうです。だから、8割以上の真面目な職員のためにも、姉は宴会をした職員が許せないとのことでした。

そういう自分の経験に根差した怒りなら何となく仕方ないのかなとも思います。

でも、ただニュースを見て役人が宴会だなんてけしからん!とか漠然と思っているなら、その背後にいる8割の普通に真面目な職員のことを思って、メディアに煽られるがままに怒ったりしない方が良いと思います。

このニュースに限らず、とにかくネガティブな情報に触れて気分が塞ぐとき、

でも「世の中の8割方は普通に善良な人々だ」

って思うと少し心が軽くなるのは私だけでしょうか。

だから、私は8割教を信じていきます。

(あと、どうしても自分の周りが悪人ばかりだという人、それは普通の環境ではないので全力で逃げ出すことをお勧めします。普通の社会は8割は良い人です。)


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