本は読むな!本は書け!
──お父様の雄一さんは、幼い善樹さんが何か質問をすると、逆に「君はどう思う?」と問いかけていたそうですね。その時、お父様はどういうことを意識されていたのですか。
雄一 子どもの教育も意識していましたけれど、そもそも僕が自分勝手なんですよ。小さい子どもからでも、何か教わった方がいいじゃないですか。
僕はもともと医師として働いてきたのですが、「患者から学べ」というのは医学の世界では何百年も前からいわれていることです。だから医師自身が患者さんから何かを学べた時が、最高の医療だと思っているのです。
だから自分の子どもにも患者さんに対するのと同じように、何でも聞いてみることにしました。するといろいろと面白いことを言うから、こっちも面白いんですね。
昨日も孫と遊んでいて、「何したい?」って聞くと「迷子ごっこしよう」と言う。
お医者さんごっことかお店屋さんごっこならよくありますけど、自分が迷子になるから、そのつもりで会話をしようと言うんです。
僕はそんな遊び、思いつきもしなかった。そうやって向こうから引き出そうと思えば、子どもっていろんなものを持っているんですね。
──教えるのではなく、引き出すということを最初から意識されていたのですね。
雄一 はい。こんなふうに考えるようになったのは、1985年に私がハーバード大学の医学教育に参加したのがきっかけです。その年にハーバード大学ではニューパスウェイプログラムといって、講義形式をとらず少人数グループでの学習スタイルの医学教育を始めたんです。
講義をせずにどうやって学生を育てるんだろうと思うけれど、学生たちは授業中に教師が発言しすぎると、「先生、黙っててくれ。これは俺らのクラスだから」なんて言う。
自分で学ぶ癖をみんな持っているのだけど、教員側があまり慣れていなかったんですね。そのプログラムに参加させてもらって、「ああ、教わるのではなく、自分から学ぶ方が面白いんだな」と思いました。
善樹氏の父・雄一氏がハーバード大学に留学していた頃、ボストンにて。両親、弟と。
──お父様は背中で語ってくれたとか、生き様で教えてくれたという感じですか。
善樹 父からは具体的に何かを教わったという感じじゃないんですよ。もう強制的に質問が飛んでくるんです。
例えば僕が何か流行っているものについて、「これからは何々だ」と言うじゃないですか。今だったら「これからはブロックチェーンだ」とか。でもそういう話をしても、ブロックチェーンの話にならないんです。「じゃあブロックチェーンの次は何が来ると思う?」と質問される。
(父に向かって)これはニューパスウェイプログラムがそうだったんでしょう?
雄一 そう、ハーバードにダニエル・フェダマンという副学長がいまして、今年から新しい医学教育スタイルのニューパスウェイプログラムを始めますよという時、「10年以内にこのプログラムは変えますから」と、もう始まる前からその次のことを言うんですよ。
最先端のことをしようとしているのに、その時点で早くもその先を考えている。そのとき僕は32歳でしたが、ああ、こういうものの考え方があるんだと衝撃を受けましたね。
善樹 だから僕が何を話しても、「じゃあその次は何が来ると思う?」とか、とにかく質問が飛んでくるんです。
──お父様から常に何か質問が飛んでくるというのは、例えば家族で食卓を囲んでいるときもですか。
善樹 そうですね。僕がしゃべったことや、その場で起きていることを題材に問う。
雄一 よく「これは何々だよな、そうだろう?」という聞き方をしてしまいますが、これは本当には問うていないんですよ。言わせている。誘導尋問なんです。
問うというのは、問いかける側が本当に知りたくて尋ねることだと思います。
医者になる必要はない
善樹 僕が父から言われた教育的なことといえば、「医者になる必要はない」と。
雄一 そうだね。
善樹 「人は弱いものだから、免許や資格を取ると、それに頼って生きるようになる。そうすると本当にやりたいことが見つかったときに、その資格が邪魔するぞ」と言われました。
雄一 そう、安全に生きたいならあった方がいいけれど、面白く生きたいのなら、ない方がいい。
善樹 あとは、「テレビは見るものじゃない。出るものだ」とか。
雄一 「本も読むんじゃない。書く方になれ」って言っていたね。「資格は取るより出すように」とか。
──ゲームのルールを作る側になれと。
雄一 そうそう。だから自分が人を雇うのはいいけれど、会社に入って人に雇われちゃダメだぞと。
善樹 つまり主体的になれということです。
「学ぶ姿勢」の見せ方
善樹 父が患者さんをカウンセリングしている姿を見ていると、自分の引き出しから知識を出しているというより、相手の話をしっかり聞いて、相手の立場に立って親身になって考えているんですよね。
親がどうやって学んでいるのかという、その姿を身近でずっと見ていたんだと思います。
──そこから自然と学んでいったんですね。
善樹 何を学ぶのかというWHATは、その時々でけっこう変わるでしょう。今だったらプログラミングやアートとか。そのWHATは別に何でもいいんですよ。
ただし、いかにして学ぶのかというHOWが、すなわち親自身がどうやって学んでいるかということだと思います。そしてそれを子どもにどう見せられるか。学んだことだけを子どもに伝えても意味がないんですよ。
──学ぶ姿勢ですね。
善樹 そう、ゼロからどう学んでいくかを見せる。あとは「なぜ学ぶのか」ですね。
いかにして学ぶのかは親の姿勢を見ていればわかるけど、なぜ学ぶのかは、これはたぶん、ファミリーヒストリーなんですよね。例えば石川家は基本的にご奉仕をするという血筋でしょう?
雄一 うん、そう。
善樹 僕の両祖父母は広島で原爆を生き抜いて、近所の人のために奉仕したり、刑務所にいた方の社会復帰を支援したりしていた人たちなんです。
だから「なぜ」というのは、もうファミリーの歴史によると思います。ここはこんこんと伝えるしかないんですけど、5、6歳だとまだわからないでしょうね。
──でも、わからなくても伝えようとすることが重要なんでしょうね。
善樹 子どもと話しているとやっぱりいろいろあって、例えば今朝、マンションのエレベーターに乗って散歩に行こうとしたら、台風の後だったから、エレベーターが濡れていたんですよ。そうしたら3歳の子どもが、「濡れベーターだ!」って言ったんです。
僕が「面白いね」って言ったら、「なんで?」って言われた(笑)。それで僕も「はて、なぜ面白いんだろう?」「面白いって、そもそもなんだっけ?」と考え込んでしまって。
──3歳にして、もう問うている。
善樹 「どうしてだろうね。濡れベーターは何が面白いんだろう?」と逆に子どもに聞いたら、「だって、濡れてるからだよ」って(笑)。
つまり、普段濡れていないものが濡れているというのが子どもには面白かった。
でも僕は、「濡れる」という言葉と「エレベーター」という言葉を足したのが面白いんだと思って、「そういう意外なもの同士を足したのが、面白いってことなんだよ。イノベーションって、まさにそのことだよね」なんて、たぶん通じてないけど話しましたね。
だから「いかにして学ぶのか」というのは、さっき「迷子ごっこ」の話もありましたけど、親すらもよくわからない状況に子どもと一緒に入ってみて、そこで迷いながら学ぶ姿を見せるのがいいんだと思うんです。
何かわからないことがあったとき、親もわからなくて不思議がっている姿を見せる。
雄一 今の世の中は安全や正解ということに意識が向きがちですけれど、今、善樹が言っていた、「面白い」という価値観もあると思うんですよね。だからこれからの新しい時代、「安心」よりはむしろ「不安」な方に向かった方がいいかもしれない。
善樹 僕も「正しい」ということがわからなくなったことがあるんです。
この間、近所のレストランでご飯を食べていて、子どもがワーワー騒いだんですよ。それで奥さんが「レストランでは静かにしなさい!」って言ったら、子どもが「なんで?」って聞いたんです。僕もなんでだろう?と思ったんですよね。
というのは、その少し前にディズニーランドのレストランで食事をしたときは、ワーワー騒いでも全然オッケーだったんですよ。それに中国人とご飯を食べるときには、もう騒いだもの勝ち、でっかい声でしゃべらないと通じないというところがある。
だから「レストランで大きな声を出してはいけません」というのは、いったい何なんだろうかと、いろいろ考えていくとわからないねということを考えさせられました。
ファミリーヒストリーを伝えよ
──正しさと面白さというのはいいキーワードですね。親が面白そうにしているのか、正しさにこだわっているか、子どもには見えているんでしょうね。
善樹 親は「どういう教育をしたらいいのか」という問いを思いつきやすいと思うんです。でも、それをやると「スイスのボーディングスクールはどう?」とか「英語を学べ」とか、そんな話になってしまう。
それはそれでいいと思うんですけど、親がどう学ぶのかというHOWを見せる方がたぶん大事なんです。WHATの方は、もう何でもいいんですよ。プログラミングをやりたきゃやってもいいし、英語でもいい。ただしその結果は、単にいろんなスキルを足された子どもができるだけでしょう。
たぶんそういう子って、自分の原点を見失いやすいと思うんですよね。だからファミリーヒストリーを伝えなければならない。それが父親の役目かもしれませんね。
子どもに何をやらせるかというWHATに関しては、たいてい奥さんが勝手に決めちゃいます(笑)。周りのお母さんから「この塾がいいらしいわよ」とか、「この学校がいいそうよ」なんて聞いて。
男親はその部分ではどうしても奥さんに勝てませんから、自分がいかにして学ぶかという姿勢を見せること、そして少し大きくなったらファミリーヒストリーを伝えることの2つさえしっかりしていればいいんじゃないでしょうか。
父親は子どもにWHYとHOWをしっかり伝えればいい、WHATでは母親に勝てないと語る善樹氏。
──WHATでは奥さんにかなわないのは、母親の方が子どもを毎日見ているからですか。
善樹 毎日見ているし、周りの意見を気にしすぎるから。
僕、ユダヤ人のバル・ミツバという成人式に出たことがあるんです。何歳でやるかは12歳とか13歳とか、男の子と女の子でちょっと違うんですけどね。その儀式では、ディナーの時に、ユダヤ人はどうやって生きてきたのか、特に我がファミリーはどうやって生きてきたのかを、その子にみんなで伝えるんです。
ああいう儀式があると自分はどうしてこの世に生まれてきたのかという、WHYが実によくわかる。すごくいいと思いますね。
――核家族化は、そういう機会を奪っているのかもしれないですね。
善樹 失っていますね。自分が依って立つところがないと、いろんなスキルや最新のものに飛びつきやすくなります。
――自分だけのものじゃない、借り物に頼ってしまう。
雄一 これからAI時代になっていって、自分で想像したり、自分で考えたりするためには、小さい頃からあまり選択肢は多くない方がいいのかもしれません。
あるいはあったとしても、正解を教えるのではなく、課題を教えた方がいいでしょう。
「迷子になったときの見つけてもらい方」なんてことには正解がありませんよね。そんなことをいつも子どもに尋ねていれば、子どもなりに考えるようになります。
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