映画「カモンカモン」完璧でない私たちの世界にみえた、未来への希望
今も思い出すだけで、目から涙がこぼれ落ちそうになってしまう。きっとこれから先、何度も観たくなる作品になるだろう。
マイク・ミルズ監督はいつも私たちに決して何か考えを押し付けるという事なく、人と人との関わり合いや、理解し合うということのむずかしさを示しながら、ひたすら模索し、微かだが確かな希望をみせてくれる。
独身で子供はなく、おそらく家族との関わり合いも薄く自由を謳歌してきていたであろう、ホアキン・フェニックス演じるジョニーが、突然甥をみることになる。
私自身にも子供はいないが、彼と共に子育ての驚きや難しさや葛藤や戸惑いを経験し、共感し、そして気がつけば、何にも変え難いこれまでに感じたことのない、愛着や心のつながりを感じるようになっている。
彼がこれまで関係の悪かった妹との絆が深まっていく過程は、私自身に姪ができた時に両親に対する見方がずいぶん変わった時のことを思い出させてくれた。
そして、合間に挟まれる子供たちへのインタビューが本当に素晴らしい。
うろ覚えだが、覚えている言葉を少しだけ記載したい。
「これから世界が悪くなくなるだなんて僕にはどうしても思えないんだ。きっと未来は良くなるんだと思う。」
「もし僕が、両親の親だったら?人に思いやりを持って、誰かを陥れるような人にはならないようにって教えると思うな。」
「みんなデトロイトは最悪って言うけど、わたしはここで生まれてここで育ったの。本当の街の姿を知らない人が勝手にそんなことを言うべきではないと思うの。」
「死んだ後の世界は、きっとすごく美しいんだと思う。緑色の草原で太陽が輝いていて、心地よい場所なんだ。」
これらがすべて、実際に子供達が発した言葉そのままなのだというのがとても驚く。
彼らの生で発せられる言葉や声が、感性が、これほどまでに私たちに希望を与えてくれる物なのか。
彼らがこの世界の未来を担っていくのなら、もうこの先は明るいだろう、と確信した。
人と人が本当の意味で理解しあうことは、できないのかもしれない。
だが、理解してみようと、体と体でぶつかり、耳を傾け、理解しようと試みることこそが、私たちに残された唯一の希望ではないだろうか。
全ての発言や行動が「正しい物」であることを求められる現代において、この作品が一筋の希望とそこから解放される方法を見せてくれたように思えた。
完璧でなくても、正しくなくたって、生き方を間違えたっていいのだ、と。
生物学的な親子関係でなくとも、子供を通して大人が学ぶことはたくさんあることも。
9歳のジェシーが、「お母さんはストレスが溜まると大きなステーキを買ってひとりで食べるんだ」と言う。
子供は、思っている以上に大人が未熟であることをちゃんと分かっているのかもしれない。
モノクロで捉えるアメリカの都市の美しさと静かな背景音楽も、本当に素晴らしい。
また大切にしたい作品が一つ増えた。
Podcast番組「Fumiのミッドナイトシネマ」でも語っています。