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クリスチャンの結婚のナラティブ

1 リストアップ

 25歳の誕生日を迎え、ノゾミは初めて結婚を意識した。
 四捨五入したら30歳。まだまだ先と思っていた「アラサー」が急に現実味を帯び、苺のショートケーキにフォークを刺したまましばし呆然とした。中学校時代に習った言葉、「光陰矢の如し」が不意によみがえる。チョークで黒板に書かれたその文字列、午後の気だるい日差し、鉛筆の走る音、誰かの声を落とした笑い声とともに。

 この数年、結婚式が多かった。同級生や同期が続々と結婚しはじめたのだ。ノゾミはべつに結婚したいわけではない。相手もいない。ただ皆に取り残されてしまうかもしれない不安感が、導火線の先っぽに着いた火のように、ジリジリ迫ってくるのだった。

 居ても立っても居られなくなり、教会で牧師に相談した。
 この牧師は「結婚カウンセリング」で界隈では有名だ。クリスチャン夫婦がしょっちゅう相談に来る。牧師自身も結婚生活を長く送っており、夫婦仲は良いように見える。この人に相談すれば、間違いないのではないか。

 「結婚相手に望む事柄をリストアップして、毎日祈りなさい」
 牧師は開口一番そう言う。
 「リストアップですか?」とノゾミ。
 「そう」牧師は当然だろと言わんばかり。「事細かに結婚相手をイメージしなさい。リストは最低でも50項目は作るように。そして毎日リストを読み上げて祈りなさい。そうすれば然るべき時に、リスト通りの結婚相手が与えられるだろう」

 ノゾミは真面目な性格だ。夏休みの課題は休みに入る前に終わらせるタイプ。帰りにダイソーでメモ帳を買い、家に帰ってさっそく「結婚相手に望むリスト」を作った。

2 この人でしょうか、あの人でしょうか

 他教会と合同で集会を開いた。そこで知り合った信徒Aと意気投合した。一緒に奉仕していると、もしかしたら結婚相手かもしれない、とどうしても意識してしまう。しかし一つ問題があった。信徒Aはリストと微妙に合わないのだ。50項目のうち、5項目を満たしていない。

 「リストに合わない相手は、」と牧師は言う。「結婚相手として導かれていないということだよ。リストを満たしていないのに結婚するのは、信仰を妥協することだ。それで祝福されると思うかね?」

 ノゾミは信徒Aをきっぱり諦めた。実はデートの話があったのだが。

 その後も教会の活動を通していくつか出会いがあった。いかにも体育会系な信徒B、ムードメイカーな信徒C、クールに見えて意外と優しい信徒D。各人とも良さげに思えた。しかしいかんせん、リストと微妙に合わない。
 リストを読み上げて毎晩祈っているのだから、神様がリスト通りの相手を備えて下さる。そう言われた以上、リストと完全に合致しない相手と結婚するわけにはいかない。ノゾミは真面目な性格なのだ。(そしてそもそもの話、やはり積極的に結婚したいとは思えなかった。)

 そうこうするうちに29歳。仕事と教会の奉仕で毎日忙しい。それなりに充実した日々だ。出会いの頻度は明らかに減った。結婚式に呼ばれることも少なくなった。知り合いが概ね結婚してしまったからだ。

 ある日、牧師に呼ばれた。
 「お見合いはどうかね」と単刀直入に牧師。「いい相手がいるんだがね」
 ノゾミは驚いた。てっきり、結婚相手とはどこかで奇跡的に出会うものと思っていたのだ。「リストに合う方でしたら」とノゾミ。
 「この際、リストなんか忘れたまえ」と牧師は手を振る。「リストを越えた神の導きだってあるんだよ」

 毎晩リストを読み上げて祈ってきた、この苦労はどうなるのだろう? ノゾミは正直そう思った。しかし、神様が導かれるなら……。
 とりあえず、お見合いはしてみた。が、しっくりくる相手ではなかった(リストとも合わなかった)。今更ながら、信徒Aのことが思い出される。今まで出会った中で、一番素直に好きになれる相手ではなかったか。一番安心できる相手ではなかったか。それとも、単に思い出を美化しているだけなのだろうか。

3 独身の賜物?

  月日は流れ、ノゾミは34歳。まだ結婚していない。周囲からの有形無形の結婚のプレッシャーはすっかり減った。もう諦められているのだろう。結婚したいのか、結婚すべきなのか、ノゾミ自身よく分からなくなっていた。

 あるミーティングの席で、結婚の話になった。牧師はノゾミを指して言った。「ノゾミくんには独身の賜物があるね」

 独身の賜物? ノゾミは内心驚愕した。毎晩リストを読み上げて祈れば、然るべき時に、神様がリスト通りの結婚相手を与えてくれるのではなかったのか? 自分はいつの間に「独身コース」に入っていたのだ?

 そう疑問に思う一方で、妙に納得している自分もいた。もともと、結婚に憧れてなどいなかったではないか。独身なら独身でいいではないか。パウロも独身だったのだし。

 そんなふうに「独身の賜物」という言葉が意外なほど腑に落ちて、ノゾミは今まで以上に熱心に教会奉仕に取り組むのだった。もう結婚のことなどで悩むものか。自分は神様と結婚したのだ。その夜、ノゾミはかれこれ10年近く読み続け、祈り続けてきた「結婚相手に望むリスト」を破って、ゴミ箱に捨てた。

4 決断

 37歳になった時、偶然信徒Aと再会した。信徒Aもまだ独身だった。
 あれから12年経ち、信徒Aは変わっていた。リストの50項目のうち、なんと49を満たしているのだ(リストは捨ててしまったけれど、長年祈り続けたせいで、ノゾミは今でも内容を覚えている)。残りの1項目など、無視していいのではないだろうか?

 「独身の賜物」が揺らいだ。これは結婚する最後のチャンスかもしれない。信徒Aと話すと、いかにも好ましく、安心できる。向こうもノゾミのことを悪く思っていないらしい。案の定、お茶しませんかと誘われた。

 これは神様の導きなのだろうか……?

 返事のメールを送らなければならない。ノゾミはスマホの画面を見つめた。画面の先に未来が見える。デートして、結婚して、子をもうけて、「あたたかい家庭」を築く未来が。同時にもう一つの未来が見える。デートに行かず、独身を貫き、教会に仕えて生きる、今の生活の延長線上にある未来が。

 メール画面を指がさまよう。神様は何を願っているのだろうか。リストを満たさない1項目はどうなるのだろうか。自分は結婚したいのだろうか。何が正解なのだろうか。

 窓の外を見る。夜の闇が住宅街を覆っている。星の光は届かない。何が潜んでいるか分からない、怪しげな闇がどこまでも広がっている。

 ノゾミの指はその闇の中を、ふらふらとさまよう。

※フィクションですが、保守派の教会でよく見られるストーリーです。

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