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【映画評】マルチバースに物申す 『デッドプール&ウルヴァリン』

 『デッドプール&ウルヴァリン』は『デッドプール』シリーズ3作目にしてMCUに本格的に合流した作品。2017年の『ローガン』でウルヴァリン役を引退したヒュー・ジャックマンの同役復帰も話題になった。他にも多くのサプライズ登場がある他、MCUが突入したマルチバースに物申す面もあり、何重にも見応えのある出来になっている。

 マルチバース(多元宇宙)はMCUに続いてDCEUも導入した注目の概念だ。様々なバージョンの我々が存在する、という設定のおかげで、例えば前者の『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』では3人のピーター・パーカーの共闘が可能になったし、後者の『ザ・フラッシュ』ではマイケル・キートンがバットマン役に復帰できた(もう1人、サプライズでバットマン役に復帰した俳優がいる)。他作品の俳優を引っ張ってこれるのがマルチバースの利点の一つだろう。

 一方で、マルチバースには(スタジオ側にとって)都合の悪い存在を消す機能もある。前述の『ザ・フラッシュ』はいわゆる「スナイダーバース」でバットマンを演じたベン・アフレックを(契約の関係もあると思うけれど)消してしまった。

 このように、マルチバース概念の導入により「誰を起用し、誰を削除し、誰を復帰させるか」を矛盾なく実行できるようになった。1人のキャラクターに無限の可能性があるのだから、誰が演じても良いのだ。しかし問題はマルチバースそのものでなく、「誰がそれを決めるのか」という決定権の所在にある。

 『デッドプール&ウルヴァリン』に話を戻すと、やはりマルチバースのおかげでこれまで企画倒れになってしまった作品が実現したり、リブートが決まっている作品のオリジナル版の俳優たちが復帰できたりした。「なかったことにされた」人たちに日が当てられたのだ(個人的に嬉しかったのは、チャニング・テイタムのガンビットが実現したこと!)。どんなサプライズがあるか、実際に見て楽しんでほしい。

 実は『アヴェンジャーズ/エンドゲーム』以降、マルチバースを導入したあたりから私はMCU作品をほとんど見ていない。話が散らかってしまった印象があるからだ。ディズニープラスに加入してミニドラマ群を追わないといけないのもその要因の一つだと思う。もちろん原作コミックがマルチバースを描いているのだから、映画がそのフェーズに入らないわけにいかないのも分かる。

 けれどどうもマルチバースに及び腰になってしまう。そのせいか、本作でカサンドラ・ノヴァ(プロフェッサーXの双子の妹)が「マルチバースを滅ぼす」と宣言したのに少し喜んでしまった。おそらく本作自体も「マルチバースってどうなのよ」みたいな意図をメタ的に含ませているのではないかと思う。いかにも『デッドプール』らしい。

 しかし本作をMCUの絡みでなく『デッドプール』シリーズとして見ると、前作で「家族」になったケーブルやドミノの不在はやはり寂しい。ヴァネッサとの関係も気になる。もちろん映画規模が大きくなればフォーカスも大きくなり、サイズ的に合わなくなるものもある。その波にはメタ認知が得意なデッドプールも抗えなかったのかもしれない。

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