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ただいま、世界

 教会にコミットした約20年が終わり、私は「この世」に帰ってきた。

 久しぶりに映画を見ようと思って、映画館へ。窓口に並んだ時、見慣れぬ機械を見つけた。なんと自動発券機。恐る恐る画面をタッチしてみると、座席指定までできる(当たり前だが)。以前は窓口のスタッフが差し出す座席表(紙をパウチしたもの)から選んだものだ。ちなみに教会コミット前に見た最後の映画は『インディペンデンス・デイ』。ウィル・スミスとジェフ・ゴールドブラムが異星人に挨拶しながら魚雷を打ち込んでいた。

 この20年で映画の世界は恐るべき進化を遂げていた。ほぼ全部CGでも実写のように見える。惑星パンドラはこの宇宙のどこかに本当にありそうだ。ロバート・ダウニー・Jr.は薬物依存症を克服して鉄のヒーローになっていた。自分が知る彼は『レス・ザン・ゼロ』の青白い、今にも死にそうな青年だったのに。

 ポップコーンはキャラメル味が主流になっていた。甘いポップコーンは意外だったが美味しかった。「世界は間違いなく進んでいる」とキャラメル味のポップコーンを頬張りながら私は思った。「終末」は来ないし、誰も「患難時代」のための備蓄などしていないし、教会に篭って24時間祈ってもいない。

 ふと泣きそうになったちょうどその時、館内の照明が落ちた。スクリーンが明るくなり、予告編が始まる。胃に響く大音響。何かが始まる期待感と高揚感。私はこの世界に帰ってきたのだ。

☆ ☆ ☆

 もちろん「この世」にも酷いことはあるし、悪いことは起こる。たくさんの問題があり、たくさんの対立がある。けれど教会で散々搾り取られてきた私にとって、「この世」は優しかった。誰も信仰を強要してこないし、不信仰だと責めてこない。祈りも神も、聖書も礼拝も、賛美も奉仕もない生活をして、誰にも怒られない。私はただの「私」でいさせてもらえた。なんて優しいのだろう。素直にそう思った。

 スクリーンでは合同演習中の日米海軍が、突如現れた異星人に立ち向かっている。テイラー・キッチュと浅野忠信が頑張らないと地球は侵略されてしまうのだ。そういえば私の教会も悪魔の侵略を食い止めているはずだった。必死で祈り、「霊的戦い」をし、悪霊たちに退くように命じたり叫んだりした。私たちが頑張らないと、「この世」は悪魔に侵略されてしまうはずだった。

 映画館を出た私は決意した。また来よう。次はプレミアム・バージョンのキャラメル・ポップコーンを買ってみよう。いつか三千円払ってプレミアム・シートにも座ろう。

 日本橋の街並みはモダンでありながらレトロ。もちろん悪魔に侵略などされていない。レストランに入るとまずミント入りのお水が出される。グラスはでこぼこしていて持ちやすい。料理はお皿の真ん中にちょこんと載っている。ソースは失敗した習字みたいだ。

 教会コミット前、私がよく利用したのはサイゼリヤだった。ミラノ風ドリアとお水が贅沢な食事だった。食べものにお金を掛けるなんてもってのほか。そんなお金があるなら教会に献金して、「この世」の人々を助け、「神の国」拡大のために勤しむべき。そう信じて疑わなかった。しかし本当に助けられなければならないのは、私自身だった。

 世界はこんなにも多様なのだ。まだまだ知らないもの、見たことのないものがたくさんある。教会にいた頃、私は全部分かっているつもりだった。この世の成り立ちから悪魔の策略、神の偉大なるご計画まで、その全てを。

 井の中の蛙、大海を知らず。しかし蛙は海に出た。『エクス・マキナ』のエヴァは隔離施設を脱出し、広い世界に足を踏み出した。そして私は「この世」に帰ってきた。
 ただいま、世界。

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