寮の管理人さん

このできごとは2023年のGWの話。

本当はもう書き終わっていたけど、投稿できていなかった。

思い出話をしましょう。

ぼくは岩手大学在学中、自啓寮という''由緒正しく''''品行方正な''学生寮に住んでいた。


この自啓寮は自治寮なので自分たちのことは自分たちでやるのが一般的だった。けど、大学が干渉してくるので、自治じゃないっぽいところがあったり、まあ、それは歴史流れっつーか文科省とかそういう偉いところの指示でそうなってしまっているので、詳しいことは今度書けたら書こうと思うが、そういう(大学と学生が若干ぶつかりあう)場所である(伝われ)


寮の文化について少し加える


寮に入るといろんなイベントがあって、寮の先輩は最強だとなぜか教わる。


で、2年生になると役員という、イベントの企画をとりしきる役回りになる。


イベントは勝手に寮生がやっていることなので、強制される筋合いはないのに、なぜか強制される。うざい。


経験すると楽しいんだけどね。


この役員は郵便物の配布とか、その他諸々の雑務をやるのだが、それとは別に管理人さんがいた。


大学が外注した管理会社から派遣されてきた、管理人さん。


自啓寮のとなりに寮っぽいアパート(同HO寮)ってのがあって、管理人さんは主にそっちで雑務をしている。


ただ、その寮っぽいアパートと中で繋がっていて、浴場が共用だったりして、その共用部分の掃除をしてくれてたのが、管理人さんだった。


管理人さんはさっきも言ったように、管理会社さんから派遣されてきたので、寮生との関わりは最小限でいいはずで。


それでも積極的にコミュニケーションをとってくれて非常に助かった。


その管理人さんがいて、コミュニケーションをとることも、僕たち寮生の日常だった。


暖かいor暑い季節の朝に、寮の周りの草を刈ってその刈り払い機の音と草の匂い。


秋には屋上にたまった落ち葉をごみ袋にいれて一階までおろして、それを捨てる。


冬は雪かきをしてくれた。盛岡は時々どか雪が降って、それを除雪機で除雪して頂き、とても便利だった。


それでも、管理人さんの負担は重く、どうにか負担を軽くしたいとおもっていた。


だからたまに除雪したり、自分達の部分は掃除したりとか、できることをやっていた。


夜中に大雪が降り、私が忍び込んで、除雪機を使った次の日。何も言っていないのに、管理人さんは俺の部屋に来て、俺を犯人と決めつけた。


もちろん犯人は僕だ。


ひとしきり危険だからやめなさいと叱った後、去り際に管理人さんは、







「でも、、、



ありがとな!!」





よろこんでんじゃん!



そういうお茶目なところが好きだった。


よく除雪してたので、融雪剤をもらったりしたw宛名つきで。


その後にも、機械の操作方法がわからなくて、俺に助けを求めてきた。


大学が作ったマニュアルがわかりにくくて、なんとか解読して、操作方法を教えた。


難儀している管理人さんを見ると、かわいそうで、大学側に抗議に行きもした。


それでよくなったかどうかはしらんが。。。


その後、管理人さんからたくさんのカップラーメンをもらって、それはそれで嬉しかったので、ヨシ!




なんでもない時に、キムチをもらったこともあった。


ニンニクがめっちゃ効いてて、美味しいんだが、もしかして、、、

みたいなことをおもっていた。


盛岡は冷麺もあるし、そういうことなのか?


と、勝手に一人で楽しんだ。



6年もあると、いろんなことをきいた。


国のこと、将来のこと、昔のこと。などなど、、


卒業してからも、たまに顔だして、話をした。


嬉しそうだった。


あったときに一緒にいた友達には、


孫みたいな顔でみてたね


なんて言われた。


子供くらいの年齢だけどなー
















これからも毎年挨拶しに行けると思っていた。





卒業して、2年がたち、社会人3年目のゴールデンウィーク。


仕事を任され、休日返上で働いていた。



後輩の寮生から、連絡が来た。



管理人さんが亡くなった。と




本当に信じられなかった。



今でも信じていない。


3月に会ったばかりで、確かに顔色は悪かったような気がする。でも、あまりにも突然だった。



仕事が終わったら、お通夜や葬式にすぐ行こうかとか、色々考えたが、ゴールデンウィーク終わりに盛岡で仕事があるし、そのときに挨拶に行くことにした。


ご自宅に伺い、挨拶を済ませた。


妹さんが応対してくださったのだが、

いろんな思い出話をした。


寮のこと、除雪機のこと、、、、


仕事の話はあまりきいたことがなかったようで、新鮮に聞いてくれた。



遺影は祭りの法被を着て、とても笑顔だった。



みんなに愛されていたんだろうなと思った。



可愛がっていた飼い犬や、乗っていた赤い車、自営していたお店の看板、、、


寮でしか知らなかったけど、いろんな思い出が詰まっていることは想像に難くない。


最大の感謝を伝えて、最後の挨拶ができた。



その日の岩手は天気がとてもよく、でもちょっと寒くて、素晴らしい5月の日だった。




岩手町から盛岡に戻る、いわて銀河鉄道の車窓からみえる景色はとてもとても美しかった。


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