特に何もないけれど、マルを付けられる日だった
noteを書き始めて1週間ちょっと。
自分がこじれていることがわかってきただけで、かなりすっきりした。
ぱっと答えの出ないことをうじうじため込んでいる人に質問するのは、骨の折れるものだ。聞いてくれる側は、サービス業のようなものだよな。
今新しい職場に入って、忙しい仕事の合間にパーソナルなことを尋ねてくれる人がいるにもかかわらず、ぱっと弾んだ答えを返せていない自分にすごく不甲斐なさを感じていた。
新しく来た人がどういう人なのか、自分と共通点はあるのか、知りたいじゃない。ところが私の側で自分も相手も納得するような答えが準備できていなかった。
昔はこんなじゃなかったのにな。
私の場合は、母が聞き上手でサービス精神旺盛な人だった。母が私に色々尋ねてくれることで、私のもつれはずいぶんとほぐれていたのだろう。自分がどういう人か、つかめていた気がしていたのは多分母のお陰が大きい。
結婚してからというもの、主婦としての自分の不出来さに打ちのめされてしかいない。
元思想文化系女子、元チェロ弾き、そういったことは全部15年以上前の話だし、今の自分を何も説明していない。夫は学者で、娘2人、トイプー1匹。今の私ってそれだけ。
昨年久しぶりに高校の同窓会があって、社会で活躍している友人に、で今何してんの?と聞かれても、何もしていない笑としか言いようがなかった。
ちなみに、何もしていない、の後に「笑」が付けられるようになったのは私にとって大きな進歩。ちょっと前までは、「泣」だった気がする。
「泣」だったのは私の主婦としての日々にマルがつけられないでいたから。
今何だかよくわからないけれど、マルをつけるところから始められそうな気がするので、世に蔓延る方法論などはあてにせず地道に自分のこじれと向き合っていこうと思っている。
noteばんざい。
と、すっきりした気分でいたら、久しぶりに父がふらっと寄ってくれた。
父、私、次女は似たもの同士なので、自己嫌悪が勝っているときは父にもきつくあたってしまいがちだけれど、今日は父もご機嫌で、久しぶりに楽しくすっきりと会えた。
今日も特に何もしていないけれど、マルを付けられる気がする。これも、書くことの恩恵だと感じている。セルフエスティームというやつ。