【私たちが悟るまでのステップ】
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”ギーターを学ぶ意味”と”悟るまでのステップ”を見ていきたいと思います
学ぶ意味
今まで持っていた”自分”と”世界に対する考え方”を変えていく為に、聖典に触れ、心を磨いていく、見方を少しづつ改めていく事。
悟りまでの3ステップ&メリット
私たちがギーターを理解し、理解したあとは?ということをお話します。
1)教えに触れ、心を磨く ⇒知恵のある人
2)疑問を落とし、自分のこととして理解 ⇒安定感ある人
3)心に落とし込む ⇒迷いのない人
1)教えに触れ、心を磨く ⇒知恵のある人
自分の見方、世界に対する見方を変えるために、まずは聞こう!と。
聖典に触れ、今までの見方を少しづつ改めていく。
これをサンスクリット語では、シュラヴァナといいます。
とにかく聞く。学ぶ。
それまで、
堅苦しい考えで、自分を小さく見積もったり、
自分と世界を持ち物で比べたり。
他人に移る、自分をみて、なんとなく嫌われてないかなー・・・みたいにびくびくする生き方は、もう嫌だ!!と。
自分の見方が変えられない限り、他人の見方は変わらないので、
まずは自分が変わるために、見方や
考え方を開いていく必要があると。それがシュラヴァナ。
このシュラヴァナの期間をいわゆる”修業”というので、日本の仏教で沙門というわけです。
出家して仏道に、いそしんでいる人を沙門といいますが、もともと、シュラヴァナ、サンスクリット語から来ています。
まずは、触れて、聞き、知恵がついてきた人を”知恵ある人”ブランマ・ヴィド”と言ったりします。
教えを聞いて
ブランマについてわかってきた。
自分というのは、肉体ではないらしい。持ち物やかんがえかたではないらしい。
シュラヴァナによってヴィジョンを変えて、少しづつ、今までの自分の狭苦しい見方がかわってくるよ。
ここを目指します。⇒知恵のある人になれる。
2)確かめる (疑問を落とし、自分のこととして理解) ⇒安定感ある人
なんとなく経典の言っていることは分かってきた。
でも今まで、それなりに人生経験を積んでいるので、急にギーターでアートマーです。といわれても、
世界は、ブランマンで、自分と世界は同じ。一つだ!といわれても、
急に自分が変わる!!とかは、ないですよね。
生きて居れば、あの人だけは、合わない。とか、思ったりします。自分と同じと教えでは言われても、、、疑問がわいてくる。
本当にそうなの?質問や疑問、があったら、その疑問を落としていく。
また、どこが自分にとって納得がいかないのか?そこを見ていく。
疑問を落とし、
まさにプルシャアートマーそして、ブラフマは、自分のことなんだ。このことを教典BGは語っているんだ。とそこまで理解する。
その理解が起こるまで、何度も何度も聞いて下さい。疑問があったら、納得するまで、わかるまで語ります!とギーターも気合満々です。
登場人物 アルジュナも疑問が沸きます。
でもなぜ戦わなければいかない?
クリシュナに教えてもらいます。
「君は、プルシャアートマーで、やらなければいけないことは、今、この世界の中で、ドラマの中で今、こういう状況だから、その調和の中で、ドラマが起こっている。それが世界だと思わない? それを分かったうえで、自分のやるべきことをやるのが、生きる おもしろみ と言わない??思い通りにいかないことを楽しめるのは、本当の自分が何者かわかっているからこそできる。」と2章で語っています。
アルジュナも「わかった」といいますが、
でも・・・なぜ戦わなければいかない?あまりにも不条理ですよね?
と、この問答がずっとギーターの章をまたいで続いていく。
疑問を落とし、自分のこととして理解するこれをマナナンという。
何度も質問し、教典がそうはいっても納得できない。経典のこのへんが、腑に落ちない・・・
というのを何度も自分の心に聞きながら、それをしかるべき人、教えを理解している人(アルジュナならクリシュナに)に聞いていく。これをくり返していく。
そしてどんどん自分の疑問がおちされていくと、安定していくよ。
経典のいうビジョンで、自分や世界がみれるようになるので、安定感のある人になりますよ。
よいことも、わるいことも、あるべくして来ているんだ。そういう流れの中にいるんだ。という感じで、大きな理解で受け入れることができる。
だから、揺れないし、感情におぼれたりしないという安定感のある人になりますと。
そして、最後の仕上げ・・・
3)心に落とし込む ⇒迷いのない人
深める・・・。
心に徹底的に落とし込む。
何度も何度も、自分の本当の在り方、世界の在り方、その繋がりをみている。
これを繰り返しやって行くこと。
2)マナナンの所だと、意識して、「うん、たしかに自分はアートマーだし、ブラフマ」
難しい人や解釈が難しい事件はあるけれど、それはそうなんだ。
理性で冷静に受け止めている段階だったけれども、
無意識レベルでは、反応が起こりますよね?
「なんでこんな人が近くにいるのー?世の中は不公平!!と、とっさに起こる感情。
その無意識の考えが変わっていく為に、
「瞑想したり、もっと深い無意識レベルに落とし込んでいく」
常に何度も、自分の本当の在り方、世界の在り方、その繋がりを見ている。これを繰り返しやって行くこと、
すると、教えが、その人の生き方、その物になっていると。
その人は、
何かをして、どう思い、
どんな言葉を吐いたとしても、
様々な動物や物事に接する時でも、
常に相手はブラフマで自分もブラフマで同じ一つの真実から、世界を見ることができる。全くぶれない、、そういう人になる。
なので、その人のことを迷いのない人。
アサン・ムーダ。といいます。迷いから、一切離れている人になります。
自分の今まで見ていた事、世界を色眼鏡で見ることもしなくなる。
無意識レベルで、こんな風に世界を見てて、苦しんでいる時代もあったなーという感じで、迷いのない人になります。
ここまで来ている人を、ジーヴァムクタという風に言います。
悟りというのは、このプロセスをきちっと経て、今この世界で可能なんだ!!とわかった時に、悟るんだ!といいます。
死んだら、ジーヴァムクタではなく、リヴェーカムクタという。
死んだら悟とか、そういったことではなく、
今まさに、人間としての知性。この体を持ちながら、生きながら可能になるプロセスなんだ。
だからこの時間を無駄にせず、自分の大事なことを学ぶべきだ!!という風に言う。
これは、5章で語られています。
今日一日も皆様にとって素敵な一日になりますように。
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