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ひと
白黒つかない
グレーで在ることが
ひとで在るということで、
それは間違いでもなんでもない。
ひとで在るが故の在り来たりで、
紛れもなく儚く美しいものなのだ。
それなのに私たちは、
自分も他人も、
寄ってたかって無理矢理
白か黒に塗りつぶそうとして、
グレーで在ることに苦しんで、
一体何をしているのだろうか。
時折、
宝箱にしまっておきたいような
映像作品に出逢うことがある。
最近でいうと、世間で注目されたあのドラマだ。
あの監督が創る作品が美しくて仕方がない。
教科書通りにはいかない世界
白黒つけられないグレーな世界
正しい間違えでは判断できない世界
それは私たちがPCではなく
紛れもなくひとであるからこそ
生まれる世界であり、
そこから生じうる、
人類が枠組みした"言葉"では表現しきれない
感情、感覚、感傷こそが
私たちがひとであるということの
証明なのではないだろうか。
そして、あの監督は、
それらが限りなく儚く美しいものなのだ、と
映像という媒体を使って非常に繊細に表現する。
繊細で複雑で、
人類の言語の枠ではどうにも表現しきれない、
個でしか収束することがなかったであろう感覚を
映像という媒体でひしひしと伝えてくる。
心底感動した。
最近多様性という言葉が流行ってきているが、
ついに、枠に当てはまらない価値観が在ることの
当たり前が、当たり前として、
時代を象徴するドラマでも表現されるようになったのだと。
これらが世の中の価値観の軸として効果を成せば
どんな平和な世界が広がるのだろうと
とてもわくわくした。
きっと世の中は感動で震えているのだろう。
心躍らせ早速LINEニュースを開いた。
そして目の前に広がっていたのは、
その作品について悪い批評の嵐だった。
どの批評を見ても、
どうにかして白か黒に塗りたくらないと気が済まないのだろうという内容で埋め尽くされていた。
ここはこういう「べき」だった。
あそこのあれは人として「おかしい」。
そんなコメントで溢れていた。
私は愕然とした。
涙が出た。
あんな素晴らしいものを作ってくださったのに
本当にごめんなさいと、
あの監督に謝罪したい気すらした。
しかし、それもまた
社会という仕組みの中で生きる
人間の性なのだろうと、
なんだかとても寂しくなった。
白黒つかない
グレーで在ることが
ひとで在るということで、
それは間違いでもなんでもない。
ひとで在るが故の在り来たりで、
紛れもなく儚く美しいものなのだ。
それなのに私たちは、
自分も他人も、
寄ってたかって無理矢理
白か黒に塗りつぶそうとして
一体何をしているのだろうか。