能登半島地震で思い出した事
この度の地震で被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
私は岩手県盛岡市に住んでいますので東日本大震災の際津波の被害はありませんでしたが、停電や断水などを経験しました。入居者様達には外でラティスフェンスをバラして燃やし、大鍋で料理を作って召し上がって頂いたり、津波で亡くなった親族や入居者様の家族を探しに釜石市内の避難所や遺体安置所を探して歩いたりもしました。
その混乱の中で気づけたこともありました。私も十分日本が豊かになってから生まれた世代なので物を知らない人間ですが、現代人はなにも自己完結の暮らしができないし、その事すら気づいていないという事。電気という他人が供給するものに依存して生き、石油というよその国から送ってもらわないとならない燃料を完全に当てにしている事。そのことが馬鹿らしくさえ思いました。
が、13年経った今、あの気づきによって劇的に暮らしぶりが変わったかというと…残念ながらそれほど変わっていません。また、あの頃きちんと揃えたのでうちは大丈夫と思っていた備蓄品などをチェックしてみました。が、盲点だらけ。古くなっていたり、スマホ充電用のアタッチメントは時代とともに形状が変わり使えなくなっていました。
うちで管理している賃貸物件では昨年の秋に非常灯の交換工事を行いました。いざと言う時に点かないのでは困るからです。交換なんかしてくれない大家さん多いと思います。むしろ規模によっては非常灯は一般のアパートやマンションに義務付けられていないかも。
但し実際に何かが起きた時に自分を守れるのは国でもなく自治体でもなく管理会社でもなく自分です。何よりも非常時の対策や備蓄を今一度再確認です。