昔話から紐解く、日本の差別 第二回、~猿蟹合戦の1、【臼】:多様な日本の被差別職能民と昔話~
二十八座の下がり職
『長吏(=穢多)』『座頭』『舞々』『猿楽』『陰陽師』『壁塗』『土鍋』『鋳物師』『辻盲』『非人』『猿引』『鉢叩』『弦指』『石切』『土器師』『放下』『笠縫』『渡守』『山守』『青屋坪立』『筆結』『墨師』『関守』『鉦打』『獅子舞』『箕作』『傀儡師』『傾城屋』
これらは、享保四年(1719)に江戸の長吏頭・弾左衛門が、江戸町奉行所へ提出した「頼朝公御免状」に記されていた職能民の名前だ。
当時、彼らのほとんどが差別・蔑視の対象であったようで、研究者はこれらの被差別職能民を総称して『二十八座の下がり職』と呼んでいるという。
(なお、「頼朝公御免状」自体は、弾左衛門が彼らを配下にするためにでっち上げた偽書とされている。『賤民と差別の起源』より概略)
義務教育課程で『えた・ひにん』『村八分』という名詞を覚えただけで、なんとなく昔の差別について分かった気でいた人間は、私だけではないだろう。
差別の歴史は複雑で根深く、その理解は一筋縄ではいかない。いくつもの職掌を一手に担っている被差別民もあり、中には差別する側・される側共に、差別の明確な理由が分からない例もあるという。
同和教育がサッパリ理解できなかったのは、自分の問題ばかりではなかった。当たり障りないように作られたファジィな差別の教科書など、実のあるものであるはずがない。
これより二回に分けて、蟹に加勢した【栗】【蜂】【牛の糞】【臼】の記号学的キャラクター考察を中心に、差別の類型を紹介し、昔話に登場している被差別民、【白姓】について言及していく。
なお、個人的な体験を交える回りくどい形式となるが、自分語りがしたい訳ではない。『知ったか振りコピペ』を避けるため、それを努めて語ることが必要だと考えるので。(未だ勉強途上…)
民話を尋ねて福島へ
一番難解であろう【臼】から読み解きを始める。【臼】が何の記号か、パッと思い当たる人はほとんどいないと思う。
偶然、ある職能民が居たことを知り、調べたら意外な差別の歴史があったという話だ。
遡ること2015年、私が差別について考えるようになった始まりは、セクシャルマイノリティーを取り巻く状況をラジオで知り、代々木公園で開催されていたレインボープライド見物に行ったときだった。
舞台出演者のパフォーマンスが放つ熱気に圧倒されながらも、自分も何かできないものかと思い、小説を作ることにした。
最初に作ったのは、主人公が『地球へ移住しに来た宇宙人の性別を仕分ける』仕事に就いているというSF。これは良い出来とは言い難く、正直言って自己満足に終わった。他者へ変化を求めるという発想が傲慢だったと思う。
『何らかのメッセージを打ち出そう』という目的ありきの小説を改め、『誰でも楽しめる恋愛小説を』と考え、2016年の5月に書き上げたのが『矢印の森』という短編。これは、プロットの段階で登場人物の性別設定を保留していたものを、そのまま確定させず、性別の記号を排除したジェンダーニュートラル小説として仕上げたものだ。
その出来栄えは兎も角、実験的な小説の構想は中々楽しく、主人公に愛着もあったので、私は続編『あかがわ(仮)』を書くことにした。
続編も架空の地を舞台に構想を練っていたが、福島にある『阿賀川』の名を知ってすぐに興味を抱いた。
とりあえず福島の風土の事を知りたくなり、借りた本が赤坂憲雄+会津学研究会の『会津物語』だった。
初めて知る事も多く、新鮮な読書体験。伝承の話と組み合うようなプロットを考えると、居ても立ってもいられなくなった。良い機会だと思い7月、震災から5年経った福島へ。
島田荘司『飛鳥のガラスの靴』の真似事をしたいという気持ちは前々からあったが、取材旅行へ出かけたのはこれが初めてだった。
そうして訪れたのが、奇しくも『漂泊の旅 サンカを追って』にて、筒井功が『皮箕』を尋ねて足を運んだ南会津町の『奥会津博物館』。
ここで初めて【木地師】の存在を知った。
木地師は木地屋ともいい、轆轤を用いて木地椀を成形するので、ろくろ師とも呼ばれる。
ブナやトチ、ケヤキ、クルミなどの落葉樹から椀、皿、盆のような木地を制作する職業集団で、材料となる大木を求めて深山幽谷を転々とした人びとのことである。彼らの足跡の一端は、いまも各地におびただしく残る木地屋、木地小屋、轆轤師、六郎谷といった小地名によってもうかがえる。それらは、まず例外なく人里を遠く離れた険しい山中に散在している。
『漂泊の旅 サンカを追って』 筒井功
奥会津博物館には、木地師がかつて使った様々な道具が展示されている。
勿論、轆轤もあるが、木を切る道具とて一つや、二つではない。大工道具マニアの方なら御存知のことだろうが、都合の良い木地を切り出すのに幾つもの鋸を使い分けるのだ。
当たり前に思っていた日用品・椀が大昔から工業的に作られてきたを知らなかったので、私はとても驚いた。
それから地元の図書館で『歴春ふくしま文庫』、滝沢洋之の『会津の木地師』に目を通し、さらに驚いた。
木地師の人々は差別されていた職能民だという。
元々、東北地方には部落差別の風習はなかったらしい。戦国大名が、国力増強のために様々な職能民を招き入れると、一緒に差別も導入された。
福島では、蒲生氏郷が積極的に被差別職能民を領内へ招き入れたという。近畿地方で暮らしていた木地師たち、郷土玩具「赤べこ」の職人もその一つと言われる。
移動生活者への差別
何故、生活に欠かせないお椀の生産者が差別されねばならないのか?
木地師は「渡りのもの」、移動暮らしをしていたために差別されたと言われている。
先の『二十八座の下がり職』の中でみると、適材を求めて移動暮らしをする『石切』が近い職能民だろうか。
壊れにくい道具、需要の限られた道具の生産者もまた移動暮らしをする。サンカと呼ばれ、厳しい差別にあった『箕作』も移動暮らしをした。
その『箕作』は、木地師と交流があったらしい。
「(略)おやじのお父さんは初め、ろくろ師だったが、のちに箕作りになったって言っていましたよ」
この話に、わたしは強い印象を受けた。
(中略)木地屋と、「サンカ」と呼ばれた人びととは、同じ移動生活者といっても移動の態様がまるで違う。生業が違い、使う道具が違い、生態も民俗も違う。全く別系統の集団だとする見解が一般的であろう。わたしも、そう思っている。しかし、双方にはなんらかのつながりがあり、連絡があったようなふしがある。部分的に重なり合うところがあったように見える。
『漂泊の旅 サンカを追って』 筒井功
加えて、『笠縫』も『箕作』に近いかもしれない。
『かさじぞう』を思い出してもらいたい。
おじいさんは正月のモチを買うために、笠を作って町へ売りに行くが、そもそも、おじいさんが百姓ならば、モチは買うものではなく、家でつくものだろう。
おじいさんは移動暮らしの道具生産者【白姓】であるが故に、モチを買う金銭を必要のではないか。
昔話で語られる、異界と繋がる木地師
轆轤が渡来人にもたらされた先端技術であったことも差別の大きな理由かもしれない。
轆轤で機械的に成形される「木地椀」、歪みのない曲線を持つ木地椀は、その作成工程を知らぬ者には魔法のように感じられ、畏怖から差別が生じるのはあり得ることだ。(異能者差別、事項詳細解説)
木地椀が関わる有名な昔話といえば、不思議な力を持つお椀が川を流れてくる『マヨイガ』。
『一寸法師』もお椀が出てくる。また、お椀で川下りすることから、民俗学の学説『川=異界との境界』を連想させる。
『タニシ長者』では、カラスに狙われないようお椀で守られる。
木地椀、木地師は異界と繋がる力があると思われていたのかもしれない。(呪的能力者差別、事項詳細解説)
また、木地師に近い者には『塗師』『炭焼き』がいる。
塗師が出てくる昔話といえば『木竜うるし』がある。あれも水を介して異界と繋がる場面のある話だ。
炭焼きは異界と繋がる者として昔話に登場するという。高畑勲の『かぐや姫の物語』に登場するのも、それが理由だと言われる。
『三年寝太郎』の類話である『炭焼きの婿入り』は、なかなか興味深い。『怠け者』と同等、『炭焼き』であることが庄屋の婿に相応しくないのだ。『炭焼きの婿入り』のポイントは通婚禁止令破り。大宝律令における、良民と賤民の通婚禁止令があるからこそ、語り継がれてきたのだろう。
木地師と穢多
また、木地師は『穢多』と繋がりがある。和太鼓だ。
奥会津博物館には、木地師の生産した立派な太鼓胴が展示されているが、皮を張らなくては太鼓は鳴らせない。
皮革加工職能民は、朝鮮半島で激しい差別に曝されており、日本でも江戸時代以降に厳しい差別があったという。二つの被差別職能民の手があって、初めて和太鼓は完成する。
先の江戸の穢多頭・弾左衛門の支配地が福島に及んでいる話と、決して無関係ではないだろう。
また、演奏も被差別民が担っていた可能性がある。京都の祇園祭など、歴史的に被差別民が祭主を担わされてきたことが広く知られている。
【臼】=木地師?
猿蟹合戦で疑問に感じていたことがある。
重たい臼に圧し掛かられたら勿論ひとたまりもない。しかし、重たい臼が屋根の上に登る光景を思うと、違和感がある。かなりの大仕事だ。
もし【臼】が、常日頃から木に登る木地師を表す記号であるならば、答えは簡単だ。
【下に誰かいるとは思いもよらず】、木地師は太い木の幹を切り落としただけの話……
この思索に関連する私の著作リスト
記号的思考の練習になった短編『赤い糸のお話』。9,517文字
性別の記号を排除した実験的恋愛小説『矢印の森』。13,561文字
福島を舞台にした続編『あかがわのひそう』。41,668文字
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