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或るライターの独白
年々、断絶が広がってる気がする。本をつくるときに、直接ではないけどよくその話になる。
本のつくり手と読み手の間に、なんとも形容しがたい断絶があるのだ。
なんだろう。本の中身というか本質とは別の次元で、かなり「わかりやすく単純化」したメッセージにしないと受け取ってもらえない。
もちろん、難しくて複雑なものに価値があって、それを理解できないのがダメとかそういうのではない。単純なものが深淵の入り口に通じることだってあるし、複雑な中からシンプルで強いものがつかめることだってある。
とはいえ、なぜかいまは「複雑」は敬遠され、「単純」なものが好まれる傾向がある。本当に「わかりやすく単純化」するのは、それなりに要件が必要なのだけど、そうではなく「なんとなくわかった感じ」ぐらいのもの。まあ、これは本に限らず情報全般そうなのかもしれない。
本当は、それぞれ対立する概念のAもBもCも同時に存在できる状況があったとしても、それを受け取ってもらおうとするとかなり難しい。
という話自体が「何言ってるかわからない」と言われるのだけど。
わかりやすく言えば、ジャンケン。グーはチョキに勝つ。チョキはパーに勝つ。パーはグーに勝つ。この状況、つまり、グー・チョキ・パーが同時に出されたとき勝ち負けは成立しない。
そんなのは小学生レベルでもわかる。なのにジャンケンではなく、これがたとえばメディアをにぎわす事象とかになるとグー・チョキ・パーが同時に存在するのはおかしい、どれかが正義でどれかが悪になるはずという「空気」が流れてくる。ほんと、よくある。
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なんでだろう。グー・チョキ・パーのどれもが正義でどれもが悪、あるいは三者が正義も悪も内包してることだってなくはない。
いろんな取材をしていて、表面的にはグー・チョキ・パーは相容れない関係として認識され、そうメディアでも伝わってるけど、実は別のレイヤーではグー・チョキ・パーが利害一致して「お互い、殲滅されたら困る」ということになってるのだってあるから。
敵の敵は味方理論とも似てる。かつて瀕死のAppleを助けたMicrosoftの関係のように。
そういう具体的な話は、それこそ表面的にそこだけ切り取られてしまっても誰も得しないのでなかなかオープンには出て来ないけどね。
ということも「ある」とわかって、その上で、でも自分たちの日常でいちいちそんな面倒くさいことを理解するエネルギーを消費したくないというのは、すごくわかる。
複雑なものをそのまま受け取るのは労力がかかるし、それに見合ったリターンが得られるかというと、そこも人と状況による。
まあだから、わかりやすい単純なものしか受け取らないし、本やメディアもそっちに寄せていくのだけど、それで気づかないうちに失ってるものもある。
わかりやすい単純化されたものしか受け取らない。その先には何があるんだろう。
なんとかそこを複雑と単純の向こう側に行って見える景色を共有したくて、きょうも何か書いてる。