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宇宙から来たひっつき虫を剥がすには

何年もずっとずっと忘れていたのに、突然、脳に隕石でも当たったかのように思い出して読みたくなる本がある。
 
正確に言えば、忘れていたというより何十年という天体の周期的な巡りあわせで脳の視界に入ったのだろう。本という惑星の接近みたいなもの。天体のことはよくわからないけど。
 
『フリップ村のとてもしつこいガッパーども(原題:The Very Persistent Gappers of Frip)』という本がそれ。ジョージ・ソウンダース (George Saunders)という日本人にはまあまあ呼び方が難しい(なんて発音するんだ?)作家のジャンル的には絵本だ。
 
絵本といっても、たまたま「これは絵本にした」というだけで、ソウンダースはいわゆる絵本作家じゃない。「オー・ヘンリー賞(The O. Henry Award)」を受賞している短編の名手だ。日本で人気なのかどうかはわからない。たぶん、ひっそりと人気なんだと思う。
 

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そんなわけで2018年8月16日の午前8:02分に『フリップ村のとてもしつこいガッパーども』が僕をノックした。読みたくなる現象に理由なんていらないのだけれど、たぶん前回読んだときに妙な別れ方をしているからなんだと思う。その本と。
 
読後感というのとも違う。なんだろう。あのときフリップ村の入り口で僕はその奇妙な村人たちを眺めていたのだ。あくまで行きずりの者として。それから十何年か経って、僕は自分が今度はフリップ村の奇妙な隣人たちと暮らしているのに気づいた。
 
ふつうは本を読んで旅した地を思い出すことはあっても、それは思い出の中のことで、その場所に自分はいない。当たり前だけど。なのに、『フリップ村のとてもしつこいガッパーども』は、文字通りしつこく僕を呼びに来た。そして気付いたら、僕自身が当事者としてフリップ村の厄介ごとに対処するようになっていたというわけだ。
 
つまり、僕は十数年前に本を「読んだ」のではなく、ずっと読み続けていたことになる。無意識の中で。

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 この本は絵本だけどわかりやすくてとても難解。フリップ村の隣人たちは、まったくの他人なのにすぐ近くにいる。そして、すぐ近くにいるのに他人だ。そのことが状況をややこしくする。
 
ここでは、みんなが自分の法則しか信じていない。そのせいで、とんでもない目にあったとしても。そんな生活に、いいかげんうんざりした女の子の行動と、厄介者“ガッパー”の賢さが面白い。ちょっとだけアメリを思い出す。
 
思うんだけど、どうして外国のお話に出てくる女の子というのは真面目に面白い行動をするんだろう。まあ、それはさておき物語が終わっても「何でこんなことに」という感覚から逃れられない。そしてまた今度も、この本と妙な別れ方をしていつか忘れたころに隣人の僕をノックするんだと思う。
 
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そんなふうに奇妙な何かに時空を越えて絡まれるのが好きな人にはお勧めだけど、そうじゃない人は読まないほうがいいかも。